公的年金は、民間の保険会社の年金保険と相互扶助原理を共有していても、根本の思想において異なる。民間の保険は、純数理的に設計されていて、経済合理性のもとにおいて、公正公平性が保証されているのに対して、公的年金は、社会福祉政策的に設計されていて、所得再分配の要素をとりいれているので、公平公正性は、経済合理性のもとでは、保証されない。
実は、所得再分配というのも、ある種の相互扶助原理である。公的年金には、保険数理的な相互扶助と、政策的な所得再配分という相互扶助と、二つの原理が働いているのである。しかも、所得再配分は、保険料を払う期間と年金給付を受ける期間が遠く離れているので、死亡してしまった世代から、まだ生まれてもいない世代にまで、長い時間の展開においてなりたっている。
この所得再配分的相互扶助について、どう公平性を考えるかは、税金を通じた所得再配分機能と同じだから、純粋に政治の問題である。ならば、なぜ公的年金の国民負担が保険料と呼ばれるのか、社会保険税と呼ばれるべきではないか。
実は、公的年金は、給付を受ける受益者の負担により制度を支えるものとして発足したのである。つまり、保険料と給付の収支相等という保険数理的な理念が基礎にあったということである。故に、理念的には、社会政策的な相互扶助制度とはいっても、税金を原資として運営されている生活保護等と根本的に異なるため、保険料といわれるのである。
ところが、収支相等とはいっても、被保険者集団が複数の世代間にまたがっているので、次第に曖昧化していく。つまり、本来は、約束された給付が先にあって、それを賄うに足る保険料が徴収されていたはずだが、人口動態の影響で収支計画が大きく狂っていくに従い、収入先にありきで、給付を調整するようになっていかざる得なくなるのである。
しかも、保険料を払わない人の問題がある。理屈上、保険料を全く払わなかった人については、全く給付する必要はない。それが公平なのである。しかし、そのような人が無所得である場合、結局は、生活保護等の給付がなされざるを得ない。それが不公平であろうか。
公的年金は根本的に変質し、当初の理念は完全に失われている。公的年金の公平性をめぐる議論は、社会政策的な相互扶助全体の体系のなかで、原資としての税金の負担の問題として、政治的に決着させるほかない。その場合、支給開始年齢も含めた総合的な雇用政策や、高齢者医療費の負担のあり方との関連も欠くことはできない。それが政府のいう「社会保障と税の一体改革」の真の意味である。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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