日本国憲法の三大原理として、「平和主義」「基本的人権の尊重」「国民主権」と挙げられることがある。
私は、「国民主権」は三大原理どころか、日本国憲法のみならず近代憲法の最大の原理であり前提価値であると考える。
「国民主権」と対比されるのは「君主主権」だ。
「国政に関する最終的決定権」である「主権」を、絶対王政の時代などは君主が持っていた。
他国と戦争を開始する決断から税の徴収に至るまで、(少なくとも形式的には)君主一人に決定権があった。
近代市民革命等を経て、「国政に関する最終的決定権」は国民に帰属するようになった。
まさに、コペルニクス的大転換が起こったのだ。
日本の場合も、終戦と同時に革命よって主権の所在が天皇から国民に委譲されたとする8月革命説が唱えられた。
このように、「国政に関する最終的決定権」である「主権」が誰に帰属するのかは、極めて重大かつ根本的な問題であると同時に、その国の憲法の大前提だ。
主権者である個々の国民の尊厳を守るために、平和主義が唱えられ民主主義システムが採用され、基本的人権の保障がなされている。
平和主義は(少なくとも)個別的自衛権までは排除しないし、基本的人権も「公共の福祉に反しない」という範囲内で保障される。
しかし、「国民主権」の原理に留保を付することはできない。
緊急時に国民の自由や財産の制限がなされることがあるとしても、「主権」が移るわけではない。
国の体制や憲法の価値観が根本的に変わらない限り、「主権」は決して委譲されない。
個々の国民が主権を行使する手段は、(国や地方の)選挙、最高裁判所裁判官の国民審査、憲法改正発議に対する国民審査しかない。
選挙年齢が18歳に引き下げられたのは、18歳から主権者としての権利行使が可能になったということで極めて意義深いものだ。
主権者として国政に対して権利行使できる唯一の手段だからだ。
個人的には、生まれたばかりの子供にも選挙権を認め、親の代理行使を認めるべきだと考えている。
子供であっても、(主権者である以上)最大限行使の機会を保障すべきであって、安易に年齢制限を課すべきではない。
Himalaya音声配信で述べたように、12歳の中学受験生も数年後には主権の行使者になる。
出題者のレベルにも左右されるが、(入試問題という形で)その重要性を受験生が認識しているかどうかを問う学校が多数あると予想している。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年12月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。