日産のケリー役員が12月25日に保釈された。
「無実、法廷で明らかに」 ケリー役員のコメント全文 https://t.co/OaEtDyfK8e
— 日本経済新聞 電子版 (@nikkei) 2018年12月25日
一方のゴーン元会長は小菅の独房で新年を迎えるようだ。
欧米社会におけるクリスマスの重さは言わずもがなだろう。キリスト教のバックグラウンドだけで説明しきれない歴史的社会的な記憶が積み上げられた一年でも特別な上にも特別な日だ。欧米人にとってクリスマスの日を家族で過ごせないことに対する酷薄な印象は、日本人の感じ方をはるかに凄まじいものに違いない。
ケリー被告保釈時の青白い表情や、奥さんが動画で切々と体調を気遣う映像は少なくとも彼らの本国ではどう受け止められるのだろうか。クリスマスというこの特別に情緒的な時節柄、ことさらに過酷な印象を与えていないかとても心配である。
ハードコア過ぎて見ていていられない、告発から逮捕、拘留の成り行き
そんな中、『アリー/スター誕生』という映画を見た。何度もリメイクされた傑作を今回はレディーガガがヒロインを演じ、すでにアカデミー賞の下馬評が高い作品だ。期待にたがわぬ素晴らしい映画だった。そんな劇中のテーマ曲ともいうべき『Shallow』に“Ain’t it hard keepin’ it so hardcore?”(そんな頑ななやり方で苦しくないの?)とヒロインが歌う部分がある。
この“hardcore”(ハードコア)という言葉を聞いた瞬間、なぜか今回のゴーン氏、ケリー氏逮捕以降の日産事変とでも呼びたくなるような一連の成り行きが、劇中世界から一瞬引き離されて頭をよぎってしまった。
この英語の“hardcore”(ハードコア)という言葉、日本ではアダルト映画の過激カテゴリーや音楽ジャンルを指す言葉として定着したが、英語圏ではより広い場合に使われる言葉だろう。「妥協しないゴリゴリ感」とか「筋金入りの強硬さ」という意味で良く使われる。要は「そこまでやる?」というニュアンスだろうか。映画などでは、「あのサイコ野郎が」と似たようなニュアンスで、「あのハードコア野郎が」などと使われる。
私は彼らの逮捕以来、どうしてもモヤモヤ感がぬぐえないでいる。
そう、なんというかことの成り行きが、“hardcore”(ハードコア)過ぎるのである。
米ウォール・ストリート・ジャーナルは「この処遇は犯罪組織の構成員にこそふさわしい」と書いたが、そうなのである。ゴーン氏やケリー氏に罪を問責するにしても、少なくとももっと穏当なやり方はないのだろうか。
私は、広告マーケティングの世界から、日本の企業社会やマーケティングにゴーン氏の日産が与える影響が直接的にも間接的にも非常に大きなものであったことを肌で感じてきた。
ガラパゴスとも言われがちな日本のビジネス界にグローバル・スタンダードを目に見えるかたちで持ち込んだのはゴーン氏に他ならない。もちろんP&Gやユニリーバ、コカ・コーラなど早くから日本市場に外資流で参入して定着した企業はあったが、自動車という産業の規模の大きさやすそ野の広さからもゴーン氏の日産改革こそが広く日本の企業に与えたインパクトは絶大であった。
逮捕された今、その功罪を冷静に評価しがたい感情もあるが、その多くはまずはポジティブなものであったのではないかと思う。
マーケティング領域でも、ブランドアイデンティティの統一などブランディングの概念を本格的に取り入れ実現した企業として、日産は間違いなくトップランナーだった。
ダイバーシティという概念も、ゴーン日産が主導して日本の企業社会にも気運をもたらしたように感じる。女性や色々な国籍の人間がともに働く会社像を日産は本気で体現しているし、実際に女性の幹部社員が責任ある立場で活躍していることは日産と付き合いがあれば誰でも肌で感じることではないだろうか。ダイバーシティの効用は多様な生活者目線を取り入れることや、社会的にも人的リソースをより幅広く活用することなど多くあるだろうが、何より一緒に働いていて飽きることがなく楽しい。
そしてゴーン日産で最大のベネフィットを受けたのが、他ならぬ日産の社員だろう。技術の日産としてそれまでも世間的な評価はあっただろうが、グローバルスタンダードの働き方に対応する中で、間違いなく個人としてのスキルも上がっただろうし、世間もさらに一目置くプロフェッショナルとビジネスマンとして、評価が一段も二段も上がったのではないだろうか。実際、上級管理職の処遇は、製造業のそれとしてはかなり高いものにもなっていたはずだ。
ゴーン氏一流の発信力で日本のビジネス界にもたらした示唆=インプリケーションは、決して小さいものではなかったはずだ。日本のビジネス界全体がゴーン氏のおかげでアップデートできた。有り体に言えば、「勉強させてもらってお世話になりました」というような気分があるのである。
彼自身のカリスマ性にしても、一企業の業績を立て直したことにとどまらない貢献がゆえのものであったのではないだろうか。(しかし、ゴーン氏がその圧倒的なカリスマ性ゆえに独善の落とし穴に自らはまっていたとすればまことに皮肉な話ではある。)
現在聞こえている『不正記載』『会社資金の流用』などの違法性の議論は、法律の専門家を中心に多くの議論がなされており、私はそれを議論する立場にはいない。きっと、究極的な判断は長大な時間がかかったあと法廷で決せられるのだろう。
とはいえ法律的な決着はどうあろうと、リーダーとしてのゴーン氏が周囲に深刻な不信感を感じさせるような行動をとってしまったことは事実であり、側近に謀反を起こされた時点で『是非もなし』。リーダー失格である。ゴーン氏をその点で擁護する気にはなれないし、彼の立場の重さを考えれば、自業自得としか言いようがない。
まして絶対的な権限を持っていた日産のトップとして、自らを起点として日産をこのような混乱と危機に陥れた時点で、彼は何らかの責めを負うべきであろうし、私はその点において何らか彼らを擁護しようとは思わない。
しかしながら、ゴーン氏の罪状を告発通りとしたとしても違和感を禁じ得ないのが、すべてにおいて日本の伝統的価値観に反するような、ハードコア過ぎる告発の仕方と現在までの処遇についてである。
逮捕後の処遇は、多くの海外メディアが指摘しているように大きくグローバルスタンダードから乖離があるようだ。長い拘留期間や弁護士の立ち合いがない取り調べなど指摘されているが、過去国会議員など立場のあった人間の手記などを読むと拘置所に入れられる際、下半身の隅々まで不審物を目視で調べられる段階でプライドがズタズタになるとのことだ。もうこの時点で立派な科刑とも言える日本スタンダードなのである。
かたや、告発の仕方の酷薄さは、まったく日本的でない。「惻隠の情」とか「武士の情け」といった、なんだかんだと現代の日本のビジネス界にも引き継がれてきた武士道由来の美徳がことさらに欠落しているように思えてならない。
グローバルスタンダードと日本方式の悪いところ取りになっていないだろうか。
ましてゴーン氏は外国の国策会社とも言われる企業から送り込まれたトップである。
たとえ戦地の捕虜であっても将校は一定の儀礼をもって処遇される。
「法令にのっとり適切に対処」するという言葉は何も語っていないに等しい。もちろん「法令にのっとり適切に対処」する範疇でいかに最善手を打てるかこそが、それなりの職責の立場の人々に期待されるものではないだろうか。
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秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。