ランチの海鮮丼が約2700円。イクラ、トロ、カニなど13種類の旬の具材がたっぷりのり、デザートも付く。魚の値段のプロがみても、豊洲価格は高く映る。観光客誘致もいいが「都は働いている人のことをもっと考えてほしい」との声があちこちから聞こえる。
(日経新聞1月10日「豊洲の海鮮丼、銀座より高値 「食う物がない」」)
豊洲市場では土曜マルシェも始まり、この三連休またまた結構な人出があることだろう。
私は豊洲市場が、市場としても観光拠点としても成功することを願っている一人なのだが、願えばこそ色々と先行きに不安を感じている。
急速に観光化した市場グルメ
いつからこんなに市場に観光客が押し寄せるようになったのだろう。
少なくとも15年ほど前まで築地市場の場内で、観光客をほとんど見かけなかった。
なんとなく市場内に入って良いのか悪いのか曖昧な雰囲気もあり(一部の入場門には運用されていない守衛室的なものが一応あったはず)、一般人の我々が場内に入るのはちょっとした勇気が必要だったこともあった。でも実際には、築地場内は誰でも立ち入れる不思議な空間だった。
午後一番に築地市場近くで打ち合わせでもあれば、かこつけて早々に場内にかけつけたものだった。12時にはほとんどのお店が閉まるので、できれば11時に行きたいのだが悲しいかな、そんなちょっとした時間のやりくりもかなわなかったことだ。今考えればもっと通っておけば良かった。
昼前は、市場時間で言えば真夜中ゆえすでにガラガラの店内片隅で、市場のどこかの大将が、煮つけを突っつきながら日本酒で深めの晩酌(築地で働く人に、昼は夜中)中だ。
マグロの中落ちにタラコでもちょい焼きしてつけてもらおうか。いやいや、俺はサバ焼きに刺身半分だとか。今日はキンキの煮つけがあるじゃないかとか、昼から盛り上がったものだ。
もちろん味は今も思い出しても絶品。さすがにプロを相手に長年魚を出しているだけのことはある。どの料理も盛り付けは簡素ながら、本物の魚のうまさを教えてくれるものだった。
あわせて出てくる、あら汁、ごはんも今となってはおいそれとそのレベルを普通に出してくれる店に出会わなくなってしまった。しかも値段はおひとり様せいぜい1000円札とコインが何枚かだったと記憶している。
もちろん魚を出してくれる店以外も場内は、洋食、中華、(そういえば吉野家一号店も)なんでも食のプロを相手にする正直な商売で、まずはハズレないのが築地グルメだった。
10年ぐらい前からだろうか、行列が軒々にできるようになり、いやいやこれじゃあランチなんかしてるわけにいかないねとなった。
その後の築地市場移転の直前のころの築地協奏曲は言わずもがな。数時間待ちとかも当たり前、何より値段がべらぼうになってしまった。
この築地市場グルメ狂騒曲の時代を生み出した大きな要因のひとつは、間違いなくSNSだろう。
知る人ぞ知る口コミで築地場内のおいしさ、面白さが伝わるにつれて人が押し寄せた。特に場内はもともとが、築地で働く人たちのための食堂街だったがゆえ、完全に需要と供給がアンバランスとなった。そこでできた行列がまた人を呼んだ。
さらにインバウンドの時代も重なりすごいことになったわけだ。
豊洲市場に引き継がれた市場グルメの盛り上がり
さて豊洲市場である。
正直私は、甘く考えていた。やれやれ、場内の主な食堂は引っ越してくるし、豊洲までくればまた昔の築地時代のように市場の人向けの食堂に戻るだろうから、ゆっくり朝飯でも食べに行こうと。
ふたを開けると、豊洲市場にまで人が押し寄せたことには本当に驚いた。
築地レガシー恐るべし。そして豊洲ブランドも風評被害さえも養分にしながら、これだけ一度見に行こうかと考える人々を吸引してしまったわけだ。
この観光客をひきつけるパワーには刮目させられた。
今の市場グルメの値付けはべらぼうだ
しかしながら、たくさんの観光客が市場グルメに期待して来てくれているだけに、期待とのギャップが大きくなりすぎて今に“がっかり”グルメの代表選手としてすたれてしまうのではないかと、不安でしょうがない。
なんといっても問題の第一は観光価格で高くなりすぎていることだ。(もちろん昔ながらのお値段で頑張っているお店もまだまだ多いとはいえ)
冒頭の日経新聞は2,700円の海鮮丼ランチを取り上げていたが、いやいやもっと実勢価格は高いというのが、築地場外を含めての率直な印象だ。
いくらなんでもべらぼうだ。
市場グルメの良さは、市場で働く人が毎日当たり前に食べているものをご相伴に預かるがゆえの、“早い、安い、うまい”の三拍子だったはず。だてに吉野家発祥が築地場内ではないのである。
提供するお店側としても、期せずして大行列ができるようになり、待たせたあげくでも満足してもらえるよう高いネタの特別な体験で期待に応えようという苦肉の策あるだろうが。それにしても高すぎる。
銀座に行けば、並居る一流寿司店がランチともなれば千円台でも素晴らしいお寿司を提供してくれているのだ。
市場のプロが食べない市場グルメはつまらない
もうひとつの問題が、日経記事にあるように、混んでいることと高いことで、元来場内の飲食店が顧客にしてきた市場のプロの口に一切入らなくなってしまったことだ。
市場グルメは食のプロ相手のごまかせない緊張感の中で、そのうまさが保たれてきた。
“名物にうまいものなし”などという言葉もあるが、一見さん相手の観光レストランになってしまってレベルを保つことは飲食店にとっても至難であるはずだ。
豊洲市場は、「行動展示」の旭川動物園を参考にするべし = “シズる”市場体験の実現を
この市場内グルメの問題が象徴的なのだが、市場の現場と観光の距離が離れすぎると、必ず豊洲市場は観光地として陳腐化すると考える。ただの市場隣接の商業施設になり下がってしまうだろう。
築地市場の観光拠点としてのユニークさは、長い歴史のなし崩しの中で実現していた市場内の観光客がプロの職場に足を踏み入れてその活気を生に感じることができたことだろう。
新しい市場は、安全や衛生などの市場運営の論理の中であまりにも整然と市場の現場と観光客の動線が区切られてしまっている。これでは、多くの観光客が求めてやってくる築地市場の幻影と期待は裏切られてしまう。
旭川動物園で評判になった「行動展示」ではないが、もう少し市場の息吹を直接に感じられる工夫をすべきである。
広告業界の用語に“シズる”という言葉がある。英語のsizzleという、“(肉などが)ジュージュー焼ける“という言葉からきた表現だと思われるが、TVCMなどで美味しさを感じるいかにも美味しそうな肉の断面のカットとか、ビールグラスの水滴とか泡など、美味しさの生々しさが感じられるビジュアルを追求するのに使われてきた言葉だ。
そう、観光拠点としての豊洲市場にはもっと“シズル感”が欲しいのである。
その意味で、“豊洲市場での買い付け、一般客に開放を検討”(産経新聞)というような施策には大いに期待したい。
私は、小池都知事が豊洲市場移転で過去行ってきた政治判断を完全に誤っていたと考えている。せめてもの埋め合わせのためにも、残りの任期は豊洲市場の観光戦略強化に精一杯取り組んで欲しいものである。
(過去記事:「メンタル強すぎ。小池都知事とすしざんまいが、初競りジャック」)
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秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。