(その1から続く)
パナソニックのフルサイズミラーレス一眼「LUMIX Sシリーズ」のグローバルサイトには、「FULL – FRAME WITHOUT COMPROMISE」(妥協なきフルフレーム)という言葉がある=写真=。当初はAPS-Cセンサー用に開発されたためにマウント径に余裕のない(46mm)ソニー、一眼レフというレガシーに未練のあるニコン・キヤノンを明らかに挑発している。
「LUMIX Sシリーズ」は、ライカが開発した「ライカLマウント」(マウント径51.6mm)を採用していることは、以前の記事で紹介した。既に、ライカは2015年にフルサイズミラーレス一眼「SL」を市場に投入しているので、同マウントのフルサイズ対応レンズは、単焦点レンズ5本(35mmF2、50mmF1.4、50mmmF2、75mmF2、90mmF2)、ズームレンズ3本(16-35mmF3.5-4.5、24-90mmF2.8-4、90-280mmF2.8-4)が既に上市されている(ライカブランドなので、いずれも非常に高価)。
2018年9月26日付のパナソニックのプレスリリースによると、パナソニック自身は、50mmF1.4、24-105mm、70-200mmのレンズ3本を最初に上市し、「2020年までに合計10本以上の交換レンズを開発」すると宣言している。このリリースからは、パナソニックが本気でフルサイズミラーレス一眼に取り組む姿勢が伝わってくる。また、「Lマウントアライアンス」に参加しているシグマからも、このマウントのレンズが発売されると思われる。
フルサイズミラーレス一眼市場に、パナソニックが社運を賭けて、本気で殴り込む姿勢はよくわかったので、市場シェアを確保するための実際の戦術を考えてみたい。
まずは、ソニーと同様に、ニコンとキヤノンの影響力が他地域と比べて相対的に弱そうな、日本を除くアジアの富裕層に対して重点的にアピールすることが考えられる。彼らの多くは、何十年も前からレンズ交換式カメラで写真を撮り続けてきたわけではない。
お金ならたくさん持っているので、画素数の多い「LUMIX S1R」のボディ販売価格が50万円でも、ズームレンズ2本付きで買ってくれそうだ。来日するアジア人観光客には、富裕層が多いから、彼らの要求を満たすことができれば、そこそこの台数をさばくことは可能だろう。
次に、既に三強のフルサイズミラーレス一眼もしくはフルサイズ一眼レフを使っている、目の肥えたユーザーを「LUMIX Sシリーズ」に鞍替えさせるにはどうしたらいいのだろうか。特に決め手はないと思うが、敢えて言えば、影響力の大きなカメラマンに使ってもらうことだろう。
中井精也氏は、もともと、私と同じキヤノンEOSをメインに使ってきたカメラマンである。カメラマンとしては珍しいことなのだが、彼はキヤノンを捨て、超高感度撮影性能の劇的な向上を実現した「ニコンD3」に乗り換えている。「ニコンD3」は、2007年に発売された、フルサイズ一眼レフである。
その前にもフルサイズ一眼レフは存在した(2002年発売の「キヤノンEOS-1Ds」、2005年発売の「キヤノンEOS5D」など)ものの、画像データ処理速度が遅く、高速連写は不可能だった。超高感度撮影性能だけでなく、9fpsの高速連写をも実現した「ニコンD3」は、当時としては非常に画期的なカメラだったので、キヤノン一筋の私はニコンユーザーを羨ましく思ったものだ。
2012年、ニコンの後塵を拝していたキヤノンは、満を持してフルモデルチェンジしたフルサイズ一眼レフ「EOS-1DX」を上市し、「ニコンD3」の2世代後の旗艦機「ニコンD4」に勝るとも劣らない地位を回復した。
中井精也氏は、現在では、NHK BSプレミアム「中井精也のてつたび!」、日本テレビ「ヒルナンデス!」に出演する際、ソニーのフルサイズミラーレス一眼で写真を撮影されている。テレビの主な視聴者は高齢者であり、日本人の金融資産は高齢者に偏在している。ソニーが中井精也氏を起用した広告の効果は、相当あるはずだ。
メディア露出の多いカメラマンに、カメラとレンズ一式をタダであげてしまえば、費用対効果の面で優れた広告効果をもたらす可能性は高い。
もし、私がパナソニックから、「LUMIX S1R」、「LUMIX S1」、24-105mmレンズ、70-200mmレンズ、(これから追加されるであろう)広角ズームレンズ、500mmF4程度の超望遠レンズ、1.4倍と2倍のテレコンバーターを供与されたとしよう。30年以上キヤノン一筋の私も、ここに述べたカメラボディとレンズの一式が供与されれば、メインのカメラをパナソニックに乗り換える可能性が高い。そして、パナソニックのフルサイズミラーレス一眼で撮影した作品を、様々な媒体で発表するだろう。
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長井 利尚(ながい としひさ)写真家
1976年群馬県高崎市生まれ。法政大学卒業後、民間企業で取締役を務める。1987年から本格的に鉄道写真撮影を開始。以後、「鉄道ダイヤ情報」「Rail Magazine」などの鉄道誌に作品が掲載される。TN Photo Office