2019年がスタートしました。2020東京オリンピック、そして2025年大阪万博と巨大なイベント政策が続くことになっています。イベント政策を否定するつもりはありませんが、夢や希望、盛り上がりだけでは生産性を高めて、持続的な経済発展と財源確保を行うことなど出来ません。2019年は、一方で、そろそろ落ち着いた議論、地に足の着いた議論が必要でなないかと逆に思うのです。
落ち着いた議論とは何かと言えば、当面は、目に見えない、利便性が無い、痛みを感じる、つまり有権者に人気のない政策を進めていくための工程管理の議論です。やらなくてはいけないことはわかっているのです。誰が、どうやって、どれくらいの期間で成し遂げるのかという工程管理をつくり、実践することなのです。
有権者に人気のない政策は、議員・政党にとっては選挙、行政にとっては業界団体との連携に大きな影響が出てしまうので踏み込めないのが現実です。そこに踏み込むべきと言っているので、「青臭い」と思われてしまうかもしれません。マイナンバー制度、デジタル社会、ベーシックインカム、再生可能エネルギー…。
僕が横浜市会議員だった時、衆議院議員だった時、そして現在、将来にとって必要な改革は何も変わっていないのです。課題は同じなのに、改革出来ていないから、今でも同じ内容を異なる言葉を使い、新たな言葉をつくり、いかにも今出てきたかのような言いまわしで、提言書や答申、研究発表が出てくるのです。
もちろんテクノロジーの進展で、手法はより効率的になってきていることは言うまでもありません。だったら短時間で課題解決が進むのではないでしょうか。
建国したばかりで世界的な知名度がない。社会基盤としてのインフラ整備が進んでいない。内戦等で国民の思いが疲弊している。こうした国であれば、巨大イベントそのものが価値を見出します。
しかし、人口減少、多々の規制、厳しいい財政、低成長と成熟国家がイベント政策を執り行う場合の出口は何なのか、相当なる施策が考えられていなくてはいけません。横浜博覧会、FIFAワールドカップ(決勝)は、インフラ整備以外に何を残したのか、経済はどうなったのか、社会システムとして何が構築されたのか、僕が横浜市会議員時代に学んだイベント政策は決して成功したと事例とは言い切れないのです。
1964年、僕が生まれた年の東京オリンピックは、新幹線、首都高等を残したと言います。不足していた都市インフラが整ったという意味は大きかったのです。では、これから何を残せるのだろうか…、落ち着いた議論がそこにあって欲しい。
編集部より:この記事は元内閣府副大臣、前衆議院議員、福田峰之氏のブログ 2019年1月16日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。