呉座勇一氏が私のアゴラ記事を踏まえて『日本国紀』問題を考える―歴史学と歴史小説のあいだを書かれた。正統派の学者でこうした論争を避ける人が多い中で呉座氏の前向きの姿勢を高く評価したい。
しかし、私が井沢氏に対する呉座氏の評価、そして、久野潤への批判について、全面的には支持できない。とくに、井沢氏が日本史、なかんずく中世史へ関心を持つ人を増やしたことへの感謝や敬意はその方面の専門家としてあってしかるベきでないかと思う。
井沢氏の啓蒙的歴史論が果たした役割
呉座氏の「応仁の乱」が47万部も売れたことの何割かだって、井沢氏の啓蒙的著作あってこそだと思う。私もSB新書から7冊からなる日本史の通史を書いているが、売れないだろうと最後に残ったのが中世史だ。それを『本当は面白い「日本中世史」 愛と欲望で動いた平安・鎌倉・室町時代』 (SB新書)というかたちで出させてもらえたのも、井沢氏が中世史への関心を高めてくれたお陰だと思ったことがある。
私も呉座氏と同様に井沢氏がしばしば示す陰謀論的な考え方には賛成しかねる。しかし、世の中のために害毒をまき散らしているほどでないと思うし、週刊ポストの毎週、連載の記事のほとんどは、正しい知識の流布にも貢献していると思う。
呉座氏のような専門家にとっては、常識かもしれないが、一般の歴史ファンにすら知られてない内容が多いからだ。
また、たとえ、彼が出した結論には賛成しなくとも、そこから刺激を受けて議論が展開することも多い。あの連載が始まった1992年における新鮮な衝撃は忘れられない。いつのことだったか忘れたが、親鸞は明治時代には架空説まであったほど、蓮如の出現まで忘れられた存在だったなどという指摘も井沢氏のお陰で知られるようになった。
戦前は快挙として、戦後はとんでもない愚行として、どっちの側からもイデオロギーに引っ張られた極端な評価だった文禄・慶長の役について考え直すきっかけを与えてくれたのも忘れられない。
また、江戸時代については、堺屋太一氏らの指摘に触発されたところはあろうが、倫理主義が優先して、新井白石、徳川吉宗、松平定信らが誉められて、荻原重秀や田沼意次が不当に評価され、元禄時代が悪い時代のようにいわれていた風潮が糾されたのは、多くを井沢氏に拠っている。
以上のようなまっとうな井沢氏の主張を、百田氏が『日本国紀』で多く採り入れているが、さらには、足利義満暗殺説のようなトンデモ説まで一緒に採っているのはどうかと思う。
しかも、タイトルからして、井沢氏のは『逆説の日本史』といかにも、あえて、通説に異論をはさむという形をとっているのに対して、百田氏のは『日本国紀』といかにも間違いない史実を並べてそうなタイトルだから困るのであって、それがゆえの問題まで井沢氏に批判の矛を向けるべきかはどうかと思う。
また、井沢氏には、推理作家らしい緻密さで、いちおう、絶対それはないとまでは言いがたい隙のない議論になっているのに、『日本国紀』では仰っている内容自体に矛盾があることも目立つ。
呉座氏が「井沢氏の種々の主張」というのも、すでに書いたところだが、井沢氏の書いていることは、常識的で間違ってないことも多いのであって、その内容が、「学界では既に過去のものとなった俗説の焼き直しか、作家的な想像力が旺盛すぎて学問的な批判に耐えない奇説が大半」とまでいえるものではない。
呉座氏が
「八幡氏は井沢氏の著作を愛読しているようなので先刻ご承知だろうが、井沢氏は『逆説の日本史』などの著作の中で、日本の歴史学界を厳しく批判している。学界に身を置く私には、それは時として罵倒にすら感じられる。学界の歴史研究者は視野が狭く頭でっかちな専門バカである、と井沢氏は再三述べている。歴史学者が発掘し、歴史学者が読解した史料を利用しているにもかかわらず、である。それに比べれば私の批評はむしろ生ぬるいぐらいである」
というのは、その通りである。
ただし、これには、自分たちの仲間内での多数派になれば、教科書でもどんどん書き換えていく「強者」としての歴史学者への一理ある反発があることも理解して欲しい。古代の天皇の諡号を消し、韓国の国会の決議を履行して任那の名も消し、聖徳太子も消したいとかいうことは、専門の学者の好きにして良いのかという疑問があるのは当然なのである。
中国や韓国が古代史まで歴史戦の内容として国民を教育している中で、日本人が自国の古くからの主張とか、古くから日本人が理解してきた歴史観を知らないのも困ったことであるのだ。
一理ある歴史学界の「史料至上主義」への批判
井沢氏が歴史学界の「史料至上主義」について「史料に書いてあることだけが事実であると思い込み、史料に書いていないことを推理することを断固として拒み思考停止に陥っている」と学者を批判していることについても、やはり一理あるのである。
歴史学界が文書が見つかったときに手のひらを返すという批判をしていることについて、「史料が出てきたら見解を訂正するのは当たり前である。新史料によって自説が否定されたのに、屁理屈をこねて自説に固執する方がよほど恥ずかしい」といっているのは、その部分だけみれば正しいように見える。
「史料がないから確たることは言えない場合、『わからない』とはっきり認めることが歴史学者の『勇気』である。作家は個人だが、学者は学界の一員である。現時点で答えが出なくても、将来史料が出てきて答えが出るかもしれない。次代の研究者に後を託すのもひとつの見識と言える」。
しかし、多くの場合において、呉座氏のような文献学者にしても、それよりはるかにひどいのは考古学者なのだが、発見され、彼らが確実と評価する資料からだけ歴史を組み立てすぎる傾向があると思う。しかも、自分が発見した資料や遺物の値打ちを高めたいがゆえの作為もしばしばであり、皆さん、たいへん大新聞やテレビの利用がお上手である。
その結果、毎年のように「世紀の大発見」があったり、「常識が覆ったり」している。とくにひどいのは古代史で、出雲では遺跡があまり発見されずに記紀においては出雲が重視しているが、それほど重要な地域でなかったのではないかというのが「通説」になっていたのが、遺跡が二つほどみつかったら、記紀の位置づけ以上の重要地域に昇格だ。
しかし、記紀であのくらい重視されているのだから、かなり重要な古代の中心地域だっただろうと一般の人は思っていたわけで、その常識の方が正しかったらしいということだ。山本勘助も甲陽軍艦にああ書いてあるのだから、それなりの重要人物としていたかもしれないとも普通は思う。
ところが、確実な資料がないからといってほとんど断定的に否定し、そして、確実な資料が出てきたら、掌返しである。願わくば、確実な資料がなくとも、ばっさりとは否定せず、新しい資料が出てきても、必要以上に通説を変えないで欲しい。
そして、仲間内の通説なるものを、あまり確実なものでなく、将来において変わる可能性も高いというように世間には話して欲しいと思う。
また、旧石器時代の遺跡捏造にみられるように、専門家集団の眼力も限界があるとか、過去や大御所的大先生の発見でかなり怪しいが、学界での勢威がゆえに健在なうちははっきり否定しないなどということも多いのではないかと思う(呉座先生ご自身はそういういい加減な権威としっかり戦う力と勇気がある方だと思うがみんなそうではない)。
専門家への不信にはそれなりの理由があるのであるし、そこを崩すきっかけは、しばしば、在野の愛好家、作家、まったく他分野の専門家の指摘なのである。
そういう私自身が歴史やそのほかの分野で偉そうなことを書いているのも、政治・外交・行政のプロとして、それぞれの専門家の仰っていることがおかしいのではないかと思ったことを、指摘しているのである。
そういう場合に、専門の学者の先生方のところにお邪魔したりして、「こういう説を発表しようと思うがどう思われるか」とお聞きして、どうも勘違いしていたとか、それは古い学説をベースにしているのでないかと指摘されて引き下がることも多いし、逆に、「立場上、自分ではいえないが、たしかにそこは盲点なんで、問題提起してくれるといいですね」と言っていただくこともある。
逆に自分の専門のことで、他分野の研究者や実務家から指摘を受けて考え方を変えることもしばしばだ。
そういう意味で、呉座氏のようにとんがった議論も大好きだが、場合によっては、素人や他分野の専門家の意見も前向きに受け止めていただくことも大事でないかと私は思う。
百田氏は疑問点の指摘にむしろ感謝すべき
また、『日本国紀』について私は、プロ百田でもアンチ百田でもない。学校教育における戦後史観的な歪みを是正する刺激としては意義があると思うし、通史を飽きずによませるためには百田氏のような大作家の筆力やカリスマ性がなくてはダメだ。私が自分の通史の内容を誇っても同じようには売れないし、呉座氏が書いてもそうだろう。
一方で、『日本書紀』を思わすような大仰なタイトルをつけたことで、読者がそれにふさわしい正確性や客観性があると期待するだろうが、その期待に応えたものであるかと言えば、改善の余地があると思う。
ぜひとも、内容について、出された指摘や疑問には、反論するなり、修正するなりする努力を百田尚樹氏にはお願いしたいところである。それは、百田氏の力作に対する誹謗とか価値を下げるためにいうのでなく、その出版の意義を認めるからこそ、それが日本人の歴史観のなかに、好ましい一部として生かされる度合いを高め、その一方、否定的な影響を減らすために不可欠な作業であろうと思うからだ。
小説ならともかく、歴史を語るというなら、間違いや疑問点の指摘ほどありがたいものはない。それを修正することで、値打ちが高まるからだ。百田氏は日本中の専門家や歴史マニアがそうやって助けてくれることを感謝すべきだ。
追記:呉座氏が
「監修」ということになっているが、実際には世間一般の監修者としての権限は与えられておらず、久野氏の百田氏への影響力は限定的であった、というのがその理由である。けれども、そうであるならば、久野氏は「自分は実質的には一協力者にすぎない」と表明すべきであろう。
とおしゃっていることについては、一理はあるが、呉座氏は久野氏が自分の立場について説明しているのをご覧になっておられるのだから、久野氏のあいまいな立ち位置についてはともかく、内容については、それを踏まえた議論をされたほうがいいと思う。