日本大アメリカンフットボール部の悪質反則問題について、警視庁捜査1課は内田正人前監督と井上奨前コーチからの危険タックルの指示はなかったとし、日大の第三者委員会などの調査とはまったく反対の結論を出した。
嫌疑を立証するには不十分ということでなく、完全にシロ、冤罪ということだ。となると、波紋が大きい。損害賠償は誰が負うのか。第三者委員会のメンバーも負うことになるのではないか。あるいは、責めを負わない日大との契約になっているのか?その場合は、依頼した日大に賠償責任はあるのか。
いずれにしろ、関係者に責任があるという結論ありきの第三者委員会の横行に警鐘を鳴らすことになる。『加害者側』のいわば第一者委員会ではダメなので、第三者委員会でないとといいつつ、『被害者側』の立場で裁くいわば第二者委員会だったというわけだ。
この事件に限らず、いじめ、自殺、セクハラ、パワハラ、DV、差別、性犯罪などで批判されている場合に設けられる第三者委員会のうち、かなりの部分はこの類いだと疑うべきだ。
たとえば、いじめだとか不適切採用とかいわれて第三者委員会をつくるとして、たとえば、地方自治体の首長とか、場合によっては教育委員会などにしてみると、そんなものはなかったという結論をだされると困るのである。「人選が悪い」とかいわれるのがオチである。だから、被害者側の意向に沿った人選などがされたりする。弁護士などでも被害者側の言い分を認めなければ脅迫は来るだろうし、とうていそんな結論を出せないことが多い。あるいは、その問題で食べている人は中立の立場でない。
たとえば、原子力についていえば、原子力の専門家はだいたい原子力寄りだし、逆に環境問題の専門家はだいたいアンチ原発だ。どちらの側の人も第三者委員会など向かない。だから、人選はどちらの結論になっても、その人の立場が悪くならないような人をするべきなのだ。
それから、もうひとつ大事なこととして私は、いつもいっているのは、アンチ拙速主義だ。たとえば、自殺とか犯罪の問題でいえば、誰かが自殺するとか犯罪を犯すかもしれないというなら、拙速主義で対応するべきだ。しかし、もう起きてしまったら、ゆっくり時間をかけるべきだ。そもそも、拙速に出す結論で十分な質は望めない。そして、その事件の興奮が冷めやらぬときに出す結論はだいたい間違っている。
証人も今回の事件と同じようにいい加減なことを言う。
傷害容疑での告訴を受けた警視庁は、第三者委とは別に部員らから事情聴取。捜査関係者によると、元監督と元コーチとのやり取りを証言した部員は当時、2人の会話が聞こえるほどの近くにはおらず、「実際に聞いていない内容の証言をした。タックルした選手を守るためだった」との趣旨の話をしているという。
警視庁は、試合の映像解析や複数の部員の話からも反則行為の明確な指示は確認できず、2人の刑事責任は問えないと判断し、月内にも捜査結果を東京地検立川支部に送付する方針。同支部は2人の立件を見送るとみられる。 (日本経済新聞)
事件の性格によっては、本当に責任がある人がいても、気の毒だというので責任を問いにくいことも多い。そのときに、よく使われるのが、「被害者側」という言葉だ。昨日、論じた貴ノ岩問題でも、貴乃花親方にもかなり責任があるのではないかと私は事件直後から言い続けたが、「被害者側が責められている」と批判された。
また、今回でいえば、監督などがシロとなると、選手の責任はこれまで過小評価されすぎていたことになるし、場合によっては、監督などに罪をなすりつけていた疑いもある。当然、そういうように入れ知恵したのでないかと弁護士も疑われてしかるべきだ。
ある種の問題が裁判になると、こう言う目にあったということをウソでも本当でもいうように指導されると聞く。「暴力を振るわれたことありますか?」「いや、そんなことは」「ひどいこと言われたことないですか」「そりゃ喧嘩してるんですからそのくらいは」「それですよ。言葉の暴力ですよそれは」などというようなことだ。
そういう歪みを解決するのは、やはり時間なのだ。時間がたってから、証言を精査し、中立的に公正な判断をしたら、ずいぶんと正邪は入れ替わるだろう。
なお、いうまでもなく、刑事責任とは別に、日本の体育部の問題はいろいろあるわけで、それの改革はまったく別問題である。その点は、どっちの側も混同しないでほしい。