親だけ責める児童虐待防止法
親の虐待で亡くなった5歳の船戸結愛(ゆあ)ちゃん、10歳の栗原心愛(しあ)さんの事件で「児童虐待死は親をやはり死刑に」(2月1日)のタイトルでブログを書いたこところ、「同じような名前の2歳の今西希愛(のあ)ちゃんも17年12月に継父に頭を殴られ、性的暴行も受け虐待死しました。極刑を希望します」というコメントがよせられました。
結愛(ゆあ)、心愛(しあ)、希愛(のあ)と、天使のような名前を並べてみると、親による残酷な虐待死というあまりの落差に怒りがこみあげてきます。「親が死刑なら、虐待を放置したのと同然の自治体や施設の職員も厳罰に」というコメントもきました。
児童虐待防止法および関連する処罰規定は、主に親が対象になっており、条文を読んでみても、自治体や児童相談所、学校関係の教職員への処罰、処分に触れていません。心愛さんのケースでは、教育委員会事務局、児童相談所の職員の失態が死去を招く原因になったことが明るみになりました。
「お父さんのぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」。学校アンケートへの記述を市教委の担当者が脅迫され、父親に見せてしまい、親が逆上して暴力を振るい、死に至らしめたと想像されます。それだけでも「なんて不用意なことをしたのか」と、思わない人はいないでしょう。
さらに、両親が共謀して心愛さんに書かせたという書面は、明らかに小学生の文書ではありません。それにもかかわらず、児童相談所の職員が心愛さんを避難先から自宅に帰してしまい、怒りに任せた暴力行為を受け、死に至ったのでしょう。
小学4年で書ける文章ではない
文書には「お父さんに叩かれたというのは嘘でした」、「児童相談所の人にはもう会いたくないので来ないでください」、「会うと嫌な気分になります」などとありました。「叩かれる」、「嘘」、「児童相談所」、「嫌な」は、小学4年生で書けるのでしょうか。
親に強要されて書いたことが歴然としています。この職員も父親の暴言に押され、圧力に屈したにせよ、信じ難い行為です。いくつもの不手際は、親の責任ばかりを責め、行政側の担当教職員には、法の処罰規定がまず及ばない構造になっていることから生まれると、思います。
児童虐待防止法にはこうあります。「学校、病院などが早期発見に務める」、「虐待が疑われる場合、速やかに福祉事務所、児童相談所に通告しなければならない」、「知事は親の出頭を求め、必要に応じて住居を立ち入り調査できる」、「知事、児童相談所長は必要に応じて警察への援助を求められる」。早期発見、通告、立ち入り調査、警察の協力などの組み合わせです。
ここまでは行政側が努力すべき義務規定です。きちんと守られていれば、虐待死をかなり防げるシステムにはなっています。アンケートの書面を見せたり、子を装った書面を徹底して疑っていれば、2人の女児の命は救えたかもしれないのです。
同防止法は、親に対しては「知事らは、子に付きまとうことの禁止を親に命じることができる」、「親が違反した場合、1年以下の懲役、または100万円以下の罰金」とあります。その他、刑法との関係で、暴行罪(懲役2年以下)、傷害罪(懲役15年以下)、保護責任者遺棄致死罪(懲役20年以下)などを適用する道が開かれています。前回、書きましたように、もっと厳しい殺人罪も適用すべきです。
死をもって防止体制を告発
つまり罰則を親ばかりに課し、行政側は努力規定、義務規定を守らなくても、法的な責任は追及されない。記者会見などで頭を下げ、その場をしのげば、そのうちに騒ぎは収まる。行政側がそんなレベルの意識だから、守秘義務が必須条件であるアンケートの記述を親に見せてしまう。あるいは親に書かされた書面を児童による嘆願書かのような扱いにし、その意味を深く考えることをしない。
亡くなった児童は、自らの死をもって、虐待防止体制の甘さを告発しているのです。少子高齢化問題に絡み、麻生副総理から「年を取ったやつが悪いみたいなことを言っているやつがいっぱいいる。それ間違い。子供を産まなかったほうが問題なんだ」という発言が飛び出しました。
児童虐待の背景には、親の経済的困窮、社会的格差の拡大、ストレスなど、いろいろあるでしょう。産みたくても産めない、産めば産んだで子育てに行き詰まる。世論の反発を受けて、撤回したにせよ、このタイミングで「産まなかったほうが問題」という発言が副総理の口からなされるとは、驚きでした。他人事のような行政、他人事のような政治ですね。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2019年2月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。