麻生氏「子ども産まぬ方が問題」 衆院予算委で撤回 野党は反発(日経新聞)
麻生氏自身が発言を撤回したこともあり、また、氏独特の憎めない人柄も手伝って、早くもこの問題麻生氏が怒られペコリと謝罪の体(もちろん本音で反省するわけもなく)をとり収束しそうである。
私自身、麻生さんファンの一人としてネチネチしたくない気分もあるのだが、意外と根深い救いの無さを感じる発言で正直不快だった。
“少子高齢化”の街は、大人の佇まい
現在日本の出生率は1.43とのことである。
“出生数 最少の94万6000人 出生率1.43、2年連続低下”(日経新聞)
急激に人口が急激に減少していくことは、逆ネズミ算とでもいおうか、子供でも分かる算数だ。
理論上の帰結は絶滅だろうが、この点野生動物と違い、未来について考えが及ぶホモ・サピエンスが将来絶滅を選択するとは思えない。
そうなると大幅な人口減が、将来の日本の現実だ。
4959万人というのが2100年の日本の将来人口の中位推計ということだ(総務省 「我が国における総人口の長期的推移」)。
今よりはるかに人口の少ない日本の未来、それ自体は成熟した先進国としてはニューノーマルとも言える姿なのかもしれない。実際、北欧諸国など主に先進国で人口数も人口密度も、現在の日本よりはるかに下回りながら、文化的で豊かな生活を実現している国は多数ある。
25年前に富山を訪れたときのこと。人通りは少ないながら、しっとりと落ち着いた街の佇まいが非常に印象的で、大好きな街になった。当時とて、富山は東京より人口密度も若年人口も随分少なかった。
その際に地元の人から「今の富山は30年後の東京だよ」と言われ、そんなものかなと思ったものだった。
その後実際は東京への一極集中は変わらなかった。しかし最近では下町や郊外の一部で少子高齢化が進み、人通りも心なしか少なく「確かに」という雰囲気を感じることが多くなった。
人や街の老いや成熟は、ある意味において自然なことであり、一概に「老いた」ととらえるか「成熟」したととらえるかは、それぞれの人生の価値観にもよるだろう。
すでに渋谷の喧騒は勘弁して欲しいという世代にとっては、それはそれで良いことなのかもしれない。
少なくとも大人の街「富山」は今でも素敵な街で、スマートシティーの先駆的な社会実験も進み、人口減高齢化も悪くないよなと感じさせてくれる。
さはさりながら、やはり深刻な“少子高齢化”
とはいえ、語り尽くされており、ここで多くを語らないまでも”少子高齢化”が引き起こす現実は深刻に違いない。
生産年齢人口の圧倒的な減少は、現在と同じインフラや生活レベルの維持をじわじわと困難にするだろう。
国防や、警察、消防など優先順位の高い役割さえ十分な担い手に欠く将来さえ予想される。
解消のための移民問題も、メリットばかりではあるわけはなく一筋縄ではいかない。
まして、若い世代での一人あたり社会福祉コストの非現実的なまでの負担増は、日本社会の将来にすでに暗い影を落としている。
ハラスメント的発想の本質
そもそも子供を産む、産まない、何人産むといったことは、個人の意思・自由に属する最たるものだ。
かつて中国では、”一人っ子政策”というグロテスクを営々行っていたが、人情にも人権にも反する施策が様々齟齬を生み、終局破綻したことはもはや歴史的事実だろう。
大上段に構えるつもりもないが、最近、人が人として等しく保障される”自然権(法律以前に、人間が本質的もっている権利)”に対して無頓着な論調に往々出くわす。
小林よしのり氏でなくても”おどれら本気か”と言いたくなる。
<秋月涼佑 過去記事 “それでも、眞子様のご結婚成就を願うたった一つの理由”>
親戚のおじさんのハラスメントも大概にして欲しいが、現役主要閣僚の麻生大臣にして、この人権感覚のなさは確かに異常であるし、残念だ。
有り体に言えば、子供を産めとか産むなとか、政治家に言われる筋合いのまったくない話であり、単純に極めて不愉快なのだ。
まして、野党が指摘するように、不妊の問題など今現に多くの人が悩む状況でもあり、その気遣いのなさもやはり残念と言わざるをえない。
最近、地元での政治的苦境も取りざたされる麻生さん。日本では珍しくスタイルのあるカッコ良い政治家だけに、高齢な地元有権者へのリップサービスという”安い”行動でないことだけは願いたいものだが。
麻生さん、あなただけは言っちゃダメ
そして最大の苦言ポイントは、日本の“少子高齢化”問題をもし未然に防げる日本人がいたとしたら、それはまさに麻生さんがその人だったからである。(過去形なのは、現実的には麻生氏にもはや取り組む時間はないだろうからだ。)
少子高齢化は、現代においては先進国のみならず世界的に見られる現象で、非常に難しいテーマだ。
恐らく近い将来の時間軸で自然解決はしまい。まして、あるカップルが奇特にも「おれたちは少子化のためにがんばるぜ!」と取り組んでも、国家レベルの解決にはもちろんつながらない。
結局は、国民の一人一人が、個人の最適解として子供をつくる選択をする時代を創出するしか方法がないであろう。つまり、チャンスがあるとすれば人間観、歴史観、文明観、国家観、哲学観に優れ、なおかつ柔軟な政策を選択実行できる国家的リーダーのみが解決しうるテーマではないかと考える。
麻生さんは、華麗な閨閥もあり39歳のときから国会議員だ。主要閣僚、首相も経験し、78歳の現在も現役副総理・財務大臣・金融担当大臣の要職にいるのである。
こんな人、広く歴代総理や広く国会議員を見てもそうそういないのである。
1975年に日本の合計特殊出生率は2を割り、それ以降は低下傾向が続いてきている。麻生氏の初当選は1979年だ。つまり、日本で一番“少子高齢化社会”に取り組む機会を与えられ、その役割を委嘱されてきたのは、まさに麻生さん、あなたなのである。
良く解釈すれば、長年麻生氏なりに問題意識を持ち続け取り組んだが、埒が明かない結果としての、ただのグチ、悪態の類だったのかもしれないが、それではあまりに国民が救われない。
麻生氏キャリア大団円での失言に対して、ハラスメントや配慮に欠けるという意味では“残念”という言葉になる。一方で、国家的課題への負託を一身に背負う最高位の為政者として長く過ごした人に対する言葉としては、“悲しい”という一言しか思い浮かばないのである。
秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。