「ローマの休日」アン王女の決断、眞子様の決断

先日放送の”ブラタモリ”は、初の海外ロケということで”ローマ”編だった。

「ローマの休日」に主演したオードリー・ヘップバーン(Wikipediaより:編集部)

番組中で、タモリさん一行は映画「ローマの休日」で有名な”スペイン広場”に立ち寄る。さすが、非観光(反観光?)視点のちょっとへそ曲がりな街歩きが持ち味のブラタモリだけあって、「ローマの休日」についてのタモリさんのコメントは「あ、あれは観光映画ですね。」という誠に”らしい”もので、微笑を禁じえなかった。

「ローマの休日」、王女としての”くびき”から逃れる一夜の物語

(以下「ローマの休日」をこれから見ようと楽しみにされている方は、いわゆる”ネタバレ”要素がありますのでご留意下さい。)

言わずと知れた「ローマの休日」は、ウイリアム・ワイラー監督のアメリカ映画で1953年公開の名作だ。歴史と伝統をもつ某国アン王女の、ヨーロッパ各国歴訪の最後の訪問先ローマでの出来事がみずみずしく描かれている。

過密なスケジュールと息苦しい公式行事の連続にヒステリーを起こしたアン王女は、豪華な宿泊先を抜け出してしまう。飛び出した先のローマの街中でたまたま出会った、アメリカ人新聞記者ジョーとスクーターに二人乗りしたり、髪の毛を大胆に短くカットしたり、件の”スペイン広場”大階段でジェラートにかぶりついたり、庶民の生活を楽しむ。普段の王女としてのタガをはずして、束の間羽目を外したひと時の物語だ。

何と言っても、新人にして本作でアカデミー主演女優賞をとったオードリー・ヘップバーンの演技が初々しい。若者らしいちょっとしたワガママと破天荒。ヤンチャをしても、隠せない気品と万人への優しさ。最初はアン王女と気づきスクープ狙いで行動をともにするグレゴリー・ペック演じる無頼な新聞記者ジョーも、徐々に親愛と敬意に抗えなくなる。そして最後には、友人カメラマンに撮らせていた特ダネ写真を封筒に入れてアン王女に渡してしまう。

記者会見のラストシーンは、何度見てもグッとくる

何より私がこの映画で一番好きなのは、映画最後のシーン。

束の間の”休日”から王女の立場に戻り、ヨーロッパ歴訪の締めくくりとして各国の記者団に囲まれ記者会見するアン王女。政治的な質問にも、王女らしく抑制のきいた回答でそつなく対応していく。

最後にジョーが新聞記者として質問をする。

“Which of the cities visited did Your Highness enjoy the most?” 「ご訪問された都市の中で、どこが一番お気に召されましたか?」

しばし答えに迷うアン王女。空白に動揺した侍従の耳打ちに促され、

“Each in its own way was …unforgettable”「それぞれの都市にそれぞれ魅力があり忘れがたく、、」

と公式コメントをこたえようとするアン王女。

“It would be difficult to …”「難しいことです、、(一番を決めることは)」

と答えかけて、意を決したように

“Roma. By all means Roma!”「ローマです。何と言ってもローマ。」

“I will cherish my visit here in memory as long as my live.”「私は、生涯この地での思い出を懐かしく思い出すでしょう。」

と答える。

アン王女の不在中、公式には病気と公表されていたこともあり、また何より王女らしからぬ率直なコメントにざわめく記者たち。驚いてアン王女を振り返る、侍従の表情が面白い。

生まれもった環境や立場から完全に自由な人はいない。葛藤、克服の物語は万人に普遍なもの。

この映画の魅力は一言で語りつくせないが、やはりオードリー・ヘップバーン演じるアン王女への共感は、誰もが感じるところではないだろうか。退屈で窮屈な公式行事の日々。若い時分であれば、アン王女ならずとも羽目を外したくなるときもある。たった一日の出来事を描いたに過ぎないのだが、そのハツラツとした描写はまさに人間賛歌としか言いようがない、愛すべきシーンに溢れている。誰もが自分なりに青春時代羽目を外してはじけたキラメキの思い出があるのではないだろうか。

そしてアン王女への共感は、王女が最後には自分の意思で王女の立場に戻り、その務めを全うする決意をすることでさらに深いものとなる。映画を見た誰もが、王女の自由な生活への憧れを知っている。王女という立場の葛藤に苦しみながら成長する一人の人間をアン王女の中に発見する。王女という立場はかなり特別だけれども、誰しも生まれもった環境や立場から完全に自由な人はいないだろう。運命とまでは言うと大げさだが、アン王女の葛藤と克服の物語への理解共感は人種性別立場に関係ないものだ。その普遍性ゆえ、「ローマの休日」は、名画と言われ長年多くの人に愛され続けているように思う。

国も時代も違う物語だが、やはり眞子様に重ねて考えてしまう。

やはりこの映画を思い出すとき、我が国の皇女である眞子様、現在進行形での物語に思いを致してしまうのもまた人情ではないだろうか。

宮内庁サイトより:編集部

現在日本国内多くの人が、あたかも身内が身近な人を気遣うかのように、真剣にそれぞれの価値観、”善かれ”で今の状況を心配している。多くの人は、「結婚しても苦労するよ、あの男は。やめときなさい。」と親身だし、「家柄にふさわしくない」と心配する声もある。私はというと、そんなに反対する声ばかりで、眞子様の気持ちはどうなるんだと本人たちの意思の側に立ってみる。(秋月涼佑過去記事 「それでも、眞子様のご結婚成就を願うたった一つの理由」)

「ローマの休日」最後のシーンを、アン王女が役割を納得し受け入れるまでの物語ととらえれば、眞子様にもアン王女のように皇女の立場に徹して欲しいと考える人が、現在多いのだろう。でも同じラストシーンをアン王女の決断、一人の女性が自己決定するまでの物語ととらえるとき、私は眞子様がもしそれでも結婚を望まれるのであれば、それはそれで立派な意思だろうと応援したい。

「ローマの休日」に続編はないが、誰もが自らの人生を葛藤の中で決断したアン王女が立派な女王となったことを確信したに違いない。アン王女を演じたオードリー・ヘップバーンはその後の映画界での輝かしいキャリア後の後半生をユニセフの活動に捧げるなど、高貴で意思の強い女性として、あたかも「ローマの休日」のその後を演じるかの如く尊敬される人生を歩んだ。

重ねて、眞子様が、どんな人生を選ぶにしても、自らの意思でこの厳しい局面を切り拓くことが何より大事であるように思う。それがご本人の幸せへの必要条件であることはもちろん、ご家族である皇族方、ひいては我が家族の事のように心配する国民の安心・安寧に結局はつながる道でないかと思えてならない。

秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。