筆者が朝鮮半島の歴史に興味を持ったのは台湾で一時住んだ経験からだ。住むまでもなく一日二日旅すれば、日本人に対する台湾人の親しみの深さや台湾社会の日本に対する好意を直に肌で感じることができる。ひとしお日本人にそれを実感させたのは3.11東日本大震災だ。
報が届くや台湾は国を挙げて日本支援に動いた。結果、なんと250億円を超える巨額の義援金が集まって日本に届けられた。台湾の人口は約2500万人だ。仮にそれで割れば赤ん坊からお年寄りまで一人当たり千円、物価の違いが2倍として・・、とにかくその大きな善意は日本人の胸に沁みた。
台湾から日本に戻って改めて思ったことは、かつて同じように日本の統治下にあった台湾と韓国なのに、韓国だけどうしてこうも反日なのだろうかということだ。台湾にいた時にその歴史を含めて一通り台湾を勉強し経験したので、今度は朝鮮を知ろうと考えた。
「台湾の親日は中国国民党による圧政の反動」と筆者は考える。台湾は1624年にオランダに占領されてから日本が放棄する1945年まで、3世紀以上の長きにわたって外来政権に統治された(李登輝元総統は清朝時代すら外来政権統治だったと述べている)。
その間に主として対岸の福建省などから渡台した漢族は、オランダ人に奴隷同然に連れて来られた苦力や鄭成功の頃に満州族の支配を逃れた反清復明の一派、そして倭寇対策の海禁策を破る男たちだったし、18世紀半ばに海禁策を解いても清朝は家族の帯同を許さなかった。
その結果起きたのは漢族と原住民との混血だ。平地に住む平埔族と呼ばれる原住民には偶さか婿取りの風習があった。現に本省人(戦後に蒋介石の国民党軍が来る以前から台湾に居住していた人達。国民党軍と一緒に来た者は外省人)の約8割が原住民のDNAを持つとの研究もあるという。
こうした本省人に「我らは中国人とは違う」という台湾人アイデンティティーを芽生えさせたきっかけは1947年2月の二・二八事件だ。国民党の圧政の数々、即ち、日本残置資産の貪食、要職の外省人独占、役人の腐敗などで不満が鬱積していたところへ台北で事件が起きたのだ。
事件自体は些細なことだった。が、それを契機に全島で立ち上った台湾人たちは行政府に政治の改善を要求した。行政長官陳儀はその要求を受け入れるふりをしつつ、まだ大陸にいた蒋介石に援軍を求めた。来台した精鋭軍は機銃掃射などで各地の台湾人を虐殺し、その被害者は教育程度の高い教師や法律家などの文化人を主体に2万人とも3万人ともいわれる。
この事件によって多くの本省人は、自分に漢族の血が流れていることを恥じ、それまで下に見ていた原住民の血が流れていることを誇りに思うようになった(柯旗化「台湾獄門島」)。だが、国民党政府は大陸の脅威を理由に戒厳令を布いて事件を隠蔽し、その後も白色テロを続けた。
戒厳令が解かれ事件が明るみに出てから2年後の89年、蒋経国が死に李登輝が副総統から総統に昇格して台湾は本格的な民主化に舵を切った。先に筆者は台湾人アイデンティーを芽生えさせた「きっかけ」と書いた。その意味はその本当の成熟は李登輝による民主化後ということだ。
長々述べたが以上が「台湾の親日は中国国民党による圧政の反動」と筆者が思う理由だ。日本に統治されていた当時から台湾人が親日だった訳では決してない。彼らが「犬去り豚来る」といったように、犬はうるさいが番犬になる一方、豚は貪り食うだけ(筆者は豚に酷過ぎと思うが)と言う訳で、日本だって犬に過ぎなかった。
そこで韓国の話になる。あれこれ勉強してはいるものの、実は筆者は韓国が反日である理由を未だ解らずにいる。1910年の日韓併合からの35年間、台湾と同様に日本人が朝鮮半島の犬だったことだけは間違いない。とすると台湾の顰に倣えば韓国にはまだ豚が来ていないのか・・?
犬がなぜ人間に愛玩されるかと言えば、飼い主に信を置いて忠を尽くすからに違いない。それで飼い主も飼い犬に信頼を寄せる。人と人とがお互いに全幅の信を置くことなら、日本には世界に例を見ない稀有な事例がある。それは天皇陛下と日本国民との関係だ。
ポツダム宣言受諾のご聖断の時のことだ。国体が護持される前提で受け入れるとの日本の返答に、国務長官バーンズがそれは日本国民が決めるとの趣旨の回答を寄こした。危ぶむ閣僚を前に陛下は「それで良いと思う。米国が許しても国民が許さないなら意味がない」という趣旨のお言葉を述べられた(「奇跡の昭和天皇」小室直樹)。これを書く度に筆者は涙腺が緩む。
が、韓国には犬を食す文化があるし隣国民の象徴に謝罪を求める国会議長もいるから国柄は様々だ(鯨を食す日本人をとやかく言う国だってあるし)。ということで、韓国の反日理由の解明は筆者の今後の勉強課題にするとして、国会議長(韓国代表)の枕詞「知日派」と 台湾の枕詞「親日派」について考えてみる。
これに最適なテキストは「米国の日本占領政策」(五百旗頭真)だ。米国が満州事変を契機に1930年代から対日政策を考え、先々起こるかも知れない対日戦の後のことまで検討していた様子をまとめた労作だ。著者はそこに次のようなマトリクスを載せている。
米国の知識人を対象にしているマトリクスだが、韓国にも日本やその他の国にも使える。非常に良く出来ていて一目瞭然だから、本稿の結論はこの図を掲げるだけで十分だが少し蛇足する。
著者はこのマトリクスで、日本の知識を最もたくさん持っている層を日本専門家として右上の[Ⅰ]象限に置き、日本を比較的知っている知日派と親日派の上層部をそれと重ねている。一方、親日派と知日派にもそれらが有する日本の知識の多寡に大きな幅があることを示す。
対日感情については、反日派が日本専門家と知日派の一部にも存在することが判るし、何より反日派を[Ⅱ]と[Ⅲ]の象限の左側に寄せて、他のどの派とも重ねずに対日感情のマイナスぶりを表しているのが特徴的だ。何と判り易いマトリクスなのだろうと感心する。
いうまでもなく件の国会議長はマイナスの対日感情を持つ少数派の知日派ということになる。仮にこれを韓国に対する日本人のケースに置き換えれば、筆者などは差し詰め左下の[Ⅲ]象限の右上方部、すなわち韓国の知識も足らず、対韓感情もそう大きくはないところにプロットされよう。
なぜかと言えば筆者は、知らないのに嫌いというのは怖いと思うからだ。人間、何かを嫌いになるのには理由がある。まして対象は他国とその国民だ。ピーマンや人参が嫌いというのと訳が違う。韓国が反日である理由をもっと深く理解しないことには、筆者は[Ⅱ]象限の左上にはゆけない。
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高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。