沖縄を「独立」させないために

新田 哲史

おととい(2月25日)夜、AbemaTVの「AbemaPrime」に出演し、沖縄の県民投票をテーマにスタジオで議論してきたが、少し補足しておく。

AbemaPrimeより

辺野古埋め立て工事の「反対」派が圧勝する投票結果自体は、選挙前からわかりきっていたことだった。だから、むしろ沖縄の基地問題を、本土サイドの我々がどう考えるかに焦点が移っている。基地反対の世論形成を確立し、政治的求心力を高める思惑が玉城知事にあったのは間違いないが、「安全保障の負担は全国民で担うとの考えのもと、一人一人が自らの問題として議論を行っていただきたい」(玉城知事:朝日新聞より)のも偽らざる沖縄の声であろう。

絵空事でない沖縄独立論

とはいえ、本土の国民世論に訴えかけるだけの政治的効果があったのかは疑問だ。番組は地上波でない分、踏み込んだことも多少は許されるだろうと、沖縄独立論についても少し触れた。引き合いとして、橋下徹氏が最近ぶち上げているように、「どうせ住民投票をやるなら独立の是非を問うくらいでないと本土は真剣に向き合わない」という考え方が出てきていることもコメントした。

もちろん、橋下氏の主張は世論戦で沖縄の県民益を勝ち取るための「手段」としての話だ。しかし、「目的」としてガチの独立論者もごく少数ながら存在する。恐ろしいのは、自国で独立論者を招いて学術会議を開催する中国のような動きが実際にあることだ(参照:MAG2 NEWS)。県民と本土の心理的分断が進み、隙が大きくなるほど、外国につけ入れられる安全保障上のリスクは決して小さくない。

そういう中で、早川さんも昨日紹介していたが、江田憲司氏が普天間返還交渉の秘話を明かした手記は非常に示唆に富んでいた。

【独占手記】江田憲司が初めて明かす普天間合意「23年目の真実」

手本としたい橋本政権時代の地道な努力

1995年の米兵少女暴行事件からの記憶が醒めやらぬ中で、地元自治体に対し「地を這ってでも説得、根回しをするという努力」(手記より)は、「政治という仕事は、情熱と判断力の両方を使いながら堅い板に力をこめて、ゆっくり穴を開けていくような仕事」(ヴェーバー)の名言をまさに体現している。良くも悪くもトップダウン気質の強い、いまの安倍政権にはそうした丁寧さが欠けている。

もちろん私は沖縄の独立に反対だし、安倍政権の安全保障政策は一定評価をしている立場だが、上述したように、沖縄を取り巻く国際情勢は橋本政権時代よりも厳しくなった。独立運動は「絵空事」と切って捨てていい時代ではなくなりつつあるだけに、万一の「暴走」につながらないように、事態打開のためには、橋本元総理や野中元官房長官たちの先人たちのような姿勢はもう少し手本とする姿勢はあっていいのではないか。

事態がこじれた背景には、戦犯である鳩山元首相を筆頭に「橋本、小渕政権が終わり、森政権以降、総理に『沖縄』の『お』の字も真剣に考えない人間が続いた」(江田氏手記)積み重ねも大きいが、結局、時の政権の意思決定は時の民意の「映し鏡」であることを考えると、本土側の国民が沖縄に寄り添って来なかったとも言えよう。

社説の「特オチ」に見るメディア側の問題

それはメディア側にも責任の一端がある。例えば、筆者が元読売記者ということで、番組の冒頭、村本大輔氏が翌朝の新聞各紙で「読売だけ社説が載っていなかった」と、筆者に振ってきたようなことが典型だ。読売は一日遅れで社説は掲載していたものの、今回のように選挙結果がわかり切っていて、原稿の準備も容易だった中で、社説の「特オチ」があったこと自体、「沖縄問題を軽視している」と批判されても反論しづらいのではないか。

もちろん、基地問題をやたらに感傷的に取り上げ、現実的な解を提示しようとしない朝日新聞などのリベラル側も全くダメなのだが、政権に近い側の新聞の扱いが小さすぎることも国民的関心が広がらない一因だ。これは賛成 or 反対とは関係ないところの向き合い方の問題だ。

沖縄の怒りが一線を越えた時点で、本土側が慌てふためくという事態にならないよう、リスクの芽は小さいうちに摘み取っておきたいところだが、関心の低い問題は、先手を打つのが何かと苦手な社会だけに懸念は膨らむばかりだ。

追伸

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