文大統領は自家撞着に陥っている

長谷川 良

韓国の文在寅大統領は1日、日本の植民地支配に抵抗して1919年3月1日に起きた独立運動「三・一運動」100年を記念し、ソウルで開催された政府主催式典で演説し、そこで100年前の学生たちの独立宣言の言動を振り返り、

「歴史を正しくすることこそが、子孫が堂々とできる道です。今になって過去の傷をほじくり返して分裂を引き起こしたり、隣国との外交であつれき要因をつくったりしようとするものではありません。親日残滓の清算も、外交も未来志向的に行われなければなりません」と強調、「過去は変えられませんが、未来は変えることができます。歴史を鑑として韓国と日本が固く手を握る時、平和の時代がわれわれに近付くでしょう。力を合わせて被害者の苦痛を実質的に癒やす時、韓国と日本は心が通じ合う真の友人になるでしょう」(聯合ニュース日本語版)

と述べている。

1919年3月1日の独立運動「3・1運動」100年の記念式典で演説する文大統領(韓国大統領府公式サイトから、2019年3月1日)

ちなみに、「100年」といえば、1919年3月の通称「三・一運動」をきっかけに、民衆が太極旗を振りつつ「独立万歳」と叫びながらデモ行進をし、日本から追われた独立運動家たちが亡命先の中国の上海で「臨時政府」を擁立した時から数えて「100年目」という意味だ。問題は、1919年の臨時政府の発足を韓国の建国と受け取ることは難しいということだ。日韓併合は1910年だ。その後、韓国は存在しないからだ。実際、韓国保守系政治家からも、「韓国の建国記念日は1948年8月15日であって、1919年ではない」という声が聞かれる。

聯合ニュースが配信した文大統領の演説全文を読む限りでは、反日言動で険悪化した日本との関係を再修正するために、日本批判を抑えた内容といえる。もちろん、文大統領が突然物分かりのいい大統領に変身したわけではなく、これ以上、日本との関係を悪化させれば、韓国の国益を害するという冷静な読みがあった、と受け取るべきかもしれない。どのような動機があったとしても、「積弊清算」を掲げ、大統領就任以来、歴代の政権を凌ぐ激しい日本批判を繰り返してきた文大統領が日本との連携が韓国の生命線だと認識したことは大きなステップと評価すべきだろう。

しかし、文大統領の演説を聞く日本国民の心は複雑だろう。連日、日本を批判し、日韓で合意した慰安婦問題をふっとばし、1965年の日韓基本条約と請求権協定を無視し、いわゆる元徴用工(朝鮮半島出身戦時労働者)の賠償金請求を蒸し返したばかりか、海上自衛隊の哨戒機に対し火器管制レーダーを照射した件では日本側の証拠開示にもかかわらず、虚言を繰り返し、詭弁を弄した韓国側に対し、多くの日本国民は怒りを感じているからだ。

だから、文大統領が日本に向けて関係修正のシグナルを発信したとしても、多くの日本国民は相手にしないばかりか、これまでの根拠なき反日言動に対し、文大統領の謝罪を求める声が出てきても不思議ではない。犠牲者メンタリティに浸る韓国は相手側も根拠なき批判を受ければ傷つくことを忘れている。特に、日本の若い世代は韓国側の執拗な中傷にどれだけ傷つけられてきたかを考えてみるべきだろう。韓国側は自分のことだけではなく、相手の立場を考える習慣を学ぶべきだ。「被害者は私、あなたは加害者」という歴史観、国家観では発展がないばかりか、孤立していくだけだ。

文大統領の演説で気がついた点は「過去は変えられないが、未来は変えられる」という内容だ。文大統領は過去を変えようと腐心してきた張本人だ。日韓の間で何度も「未来志向の関係」と強調されてきたが、それを阻んできたのは文大統領だ。日韓の新しい関係を構築していくためには、文大統領は過去の自身の言動について冷静に再考すべきだろう。大統領は自家撞着に陥っているのだ(「韓国『歴史の書き換え』に乗り出す」2018年11月22日参考)。

もう一点は、北朝鮮に対する捉え方が問題だ。同民族だが、北は独裁政治、強権政治であり、韓国の体制とは相いれない政治システムだ、という認識が乏しいことに危険を感じる。分断国家の南北の再統一は必ず実現されなければならないが、北朝鮮は金日成主席、金正日総書記、金正恩委員長と3代続く世襲独裁国家だ。何十万の同民族を犠牲にし、今なお多くの国民が強制収容所にいるのだ。

文大統領が進める無条件の南北融和政策は危険だ。旧日本軍の慰安婦問題を厳しく糾弾する文大統領が北では多くの女性が性の奴隷として虐待されていることに対して目を瞑っている。強制収容所で多くの北の国民が強制労働を強いられていることに沈黙している。カトリック教徒の文大統領は祈ることができるが、北のクリスチャンは声を出して祈れない。なぜ金正恩氏に信仰の自由を訴えないのか。文大統領は80年前、100年前の日本の植民統治時代について批判しながら、現在起きている北の女性虐待、強制労働、宗教弾圧に対して目を瞑っている。文大統領は過去の囚人であり、未来志向の政治家ではない。

日本人が文大統領の今回の「三・一運動」100年記念式典のメッセージの内容を懐疑的に受け取るのは、大統領自身が都合のいい論理を振りかざし、民族の責任を常に相手側に負わせ続けてきた姿勢に嫌悪感を感じているからだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年3月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。