日本にとって朝鮮半島はどうあってほしいのか?

北朝鮮の行動から目が離せなくなってきました。日経は「北朝鮮が『人工衛星運搬ロケット』の発射に備えている可能性があるとして、米韓両政府が警戒を強めている」と報じています。注目の東倉里での動きであり、ロケットを打ち上げる可能性が大いに出てきています。

金正恩氏の行動変化はトランプ大統領との会談が決裂したことを受け、作業を急がせたとされますが、その前からすでに準備段階にあったとも報じられていました。河野外相が同会談前に「交渉は難しくなる」とアメリカから報告を受けていたとのことですので、実務者レベルで進捗がなく、金正恩氏は交渉決裂の可能性を予期していた可能性はあります。

ロケットが再び打ち上げられるとどうしても日本の方向に飛ばす可能性は高く、その脅威は高まります。一方の韓国は北朝鮮との連携工作の作戦を練り直さねばなりませんが、文大統領はそれをものともせず立ち向かっていくでしょう。文大統領にとってそれ以外に政権延命の方法はないのですから。

さて、日本は朝鮮半島情勢と歴史的に深い関係を持ちますが、朝鮮半島はどうあるべきと考えているのでしょうか?

少しだけ歴史を振り返ります。日本の歴史で朝鮮半島問題は何度か起きています。古くは豊臣秀吉の朝鮮出兵でした。しかし、これは朝鮮半島を押さえるのではなく、当時の明朝を押さえるためです。ただ、その中で明と冊封関係にあった朝鮮半島が日本側の意向を聞き入れず、形の上では朝鮮出兵ということになっていますが究極の目的は朝鮮半島にはなかったはずです。

明治維新直後、西郷隆盛が征韓論を唱えています。ではこの西郷の征韓論はどこから来たのか、といえば実は遠くに見えるロシアの南下政策で満州、朝鮮半島を経由して日本もその領域にするのではないかという懸念から朝鮮半島に立ち上がってもらいたいという願いでありました。日本はすでに開国していましたが、朝鮮は当時まだ鎖国状態。また日本を常に格下に見る「悪い癖」が治らなかったことから西郷が交渉に行く、と主張したもので「征韓論」という名前そのものは西郷の本来の考えを反映していません。

次いで日清戦争の背景となった東学党の乱は朝鮮半島が自治という意味で揺れていた時に起こりました。国内問題を抑えるために清国にその支援を要請しますが、併せて日本とは李朝朝鮮時代の1882年に済物浦条約を結んでおり、これが日本の朝鮮への軍隊駐留権を認めていることから日本にも同様に声を掛けます。東学党の乱は収まったものの、この日本と清の朝鮮進出をめぐるもめごとが日清戦争につながったのが歴史であります。

その後朝鮮併合が起きたわけですが、日本の基本的スタンスは朝鮮半島の自立化による日本の防衛力であったと理解しています。冊封関係のもたらす中国の影響、あるいは南下するロシアへの抵抗力を断ち切り、民族自立を促すことが背景にあったと理解しています。

但し、過去の歴史からは日本のその趣旨は必ずしも正しく理解されず、朝鮮から見て日本を支持するのが少数意見であったのは朝鮮半島全体に小中華思想が蔓延し、「日本は朝鮮の下」という卑下した認識がしみ込んでいるからでありましょう。

日本にとって朝鮮半島はどうあってほしいのか、と言えば普通の常識感ある経済的にも社会的にも揺らぎない独立国になってもらえればそれでよいのではないでしょうか?残念ながら半島はいまだに休戦中であり、韓国は徴兵制度があり、北朝鮮は軍事に邁進しています。普通の国からは程遠く、且つ、自立の精神力にかけます。何かあると必ず、誰かに援助を求める、そして助けられるのが当たり前だ、という社会的背景の改善にまだ相当時間がかかるのだろうと思わざるを得ません。

いや、半島というのは世界的にみてよくならないのが世の常とされます。とすれば朝鮮半島がおかれた状況とは半島の宿命なのでしょうか?とすれば日本はこの呪縛から逃れることは難しいことになってしまいます。

心配なことに韓国経済は相当傷みが出ています。経済が疲弊すると社会がすさんできます。文大統領は隣国との友好を進めるのもわかりますが、まずは自国がおかれた状況を顧みる必要があるかと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年3月12日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。