呉座―八幡論争でわかったこと --- 岩井 秀一郎

寄稿

筆者はここ数日、日本中世史学者の呉座勇一氏と、歴史作家の八幡和郎氏の応酬に注目してきた。筆者も一応、史学科(近現代史)の学生だったので、今をときめく呉座氏と八幡氏がどのような論争を行うか、興味があったのである。しかし残念ながら、これを「論争」と呼んでいいかどうか、非常に疑問である。

日文研サイト、BS朝日サイトより:編集部

というのも、呉座氏が言葉は厳しいながらも八幡氏の思い違いを逐一指摘し、歴史学の基本的な方法論を展開することでさながら簡単な「史学概論」の趣すら漂わせる論考を書くのに対し、八幡氏は最初からズレた事しか書いておらず、最終的には冷静さを失ったとしか思えない感情論をぶちまける仕儀と相成ったからである。

八幡氏は「呉座氏は百田・井沢氏より大胆な飛躍がお好き」において、次のように述べる。

もうひとつ呉座さんが分かってないと思うのは、自分が文献資料の分析だけのプロだということだ。だから、資料の発見とか整理や評価はプロのはずだが、解釈能力があるかどうかは別だ。解釈は森羅万象についての知識、推理能力、人生経験などがものをいうから、文献史家がプロとしての優位性をもっているとは言い切れない。

呉座氏も反論しているが、歴史学について無知極まる発言と言わざるを得ない。文献の解釈も出来ずに、「評価」などできるわけがないので、一文で矛盾している。八幡氏は、古文書の読解が出来るのだろうか。まさか、「古文書を読み解くのは文献史家に任せ、読めるようになったら『森羅万象』について詳しい俺が解釈してやる」とでも言う気か。「人生経験」云々については笑止千万、自分の人生経験が数百年前の古文書を解釈するのに何の役に立つのだろう。

また、八幡氏は呉座氏が待遇に不満があるのだろうと勝手に妄想し、

40歳近くなって助教(教授・准教授・講師の下)にしかしないアカデミズムの世界での評価に不満をいうべきで、違う世界に話を広げるのは筋違いである。

というが、これも噴飯ものの発言である。そもそも、八幡氏が勝手にしゃしゃり出てきて審判面をし、呉座氏と井沢氏の論争に口を出したのである。また八幡氏はFacebookにおいて「たかが助教」と呉座氏を見下し、歴史学界のみならず、他の学問分野の人々からも顰蹙を買っている。次の文章もまた笑わせてくれる(嘲笑だが)。

ただし、私はそういうことは思わないし、ビスマルクがいったという「賢者は歴史から、愚者は経験から学ぶ」という言葉が、(ビスマルクがどんな機会に厳密にどういったのかは少し疑問に思っているが)、かなりの真実を含む箴言と考え、中世史であろうが、他国の歴史だろうが、歴史学者の仕事に、敬意をもっていることを確認しておきたい。

文献史料の解釈に「人生経験」などを持ち出した吾人が、ビスマルクの言葉を引用する。八幡氏の言葉を総合すると「賢者は歴史に学ぶが、その歴史を学ぶために必要な史料の解釈は人生経験が必要」となるが、めちゃくちゃである。「愚者」ですら、ここまでばかげた文章は書くまい。呉座氏も、いい加減あきれたのだろう。「八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか」において

ところで八幡氏は、私が「人格攻撃を含む罵詈雑言」を行っていると批判する。そもそも私が八幡氏とやりとりをすることになった発端が、「呉座は私の見解を盗用した」と八幡氏が誹謗中傷したことにあるという事実をお忘れなのだろうか。

と、事の発端に触れている。管見の限り、呉座氏は、これまで八幡氏による「盗作」という侮辱について触れてこなかった。それがついに我慢の限界に達したのだろう。

そして昨日、八幡氏はおそらく最後と思われる「週刊ポスト:井沢氏が呉座氏に一方的終結宣言」を投稿した。その中で、次のような文言がある。

ところが、今回は、Facebook上でのつぶやきが、切り取って引用されてまったくとんでもない文脈でTwitterで拡散された(私はTwitterはアゴラなどの記事をシェアする以上には使っていないし、コメントもしていない)。また、昨日は、呉座氏のアゴラ記事でもスクリーンショットが引用された。

これは、私としては、想定しない使われ方だった。

自分はFacebookで人を罵倒し、Facebookの記事を訂正したものを投稿しておきながら、自分のものが引用されると泣き言。いい年した大人のやることではない。しかもこの文章の丸カッコ内は、これまた嘘ときている。八幡氏は、呉座氏と親交のある亀田俊和氏のツイートに嚙みついている。


こんな恥ずかしい「人生経験」なら、まっぴらごめんである。

改めて今回の論争(とも言えないが)を振り返ってみると、歴史学者がいかに厳密な仕事をしているか、また激しい論争の世界に身を置いているかがよくわかる。そこに、軽い気持ちで上からつっかかると、八幡氏のように無残な返り討ちにあって周章狼狽する。学者の世界の厳しさと、安易な評論家面は避けること。これがこの騒動の教訓だろう。

岩井 秀一郎 著述業
1986年長野県生まれ。2011年3月、日本大学卒業後、一般企業で働くかたわら、昭和史を中心とした歴史研究・調査を続け、2017年、『多田駿伝:「日中和平」を模索し続けた陸軍大将の無念』(小学館)でデビューした。第26回「山本七平賞奨励賞」受賞。