新元号は「令和」だった。オヤジギャグのようだが、本当に頭の中で「いとしのレイラ」が流れた。いや、本当に。なんというか、泣きのギターと疾走感、曲にまつわるエピソードがここ数年の生前退位、改元のドラマとも重なり。
….クラプトン、神がかっていないか。
代表曲が、いちいちここ数週間の動きを予言していた。
コカイン→ピエール瀧逮捕
ティアーズ・イン・ヘヴン→内田裕也も萩原健一も亡くなった
ワンダフル・トゥナイト→長時間労働規制
チェンジ・ザ・ワールド→新元号
いとしのレイラ→令和に発音似てる
そして、今月、来日し、武道館5デイズ。いや、冗談だからね。相手にしなくていいからね。
Siriはまだ覚えていなかったけれど。Amazon Echoはちゃんと教えてくれたらしい。会見のネット配信はTwitterのライブ映像がもっともアクセス数が多かったとか。こういうネットで新元号中継というのも2019年的光景。
ここからが今度こそ、真面目な話。
「令和」という新元号自体には別に文句を言うつもりはない。ただ、その利用のされ方については注意しなくてはならない。平和で理不尽な格差がない社会を、今まで同様、期待したい。
新元号発表の浮かれムードで幸せな気分になったり、消費が促進されるのは良いことだけど、社会には諸々の問題があるわけで。日々は続いていることを直視したい。また、新時代だからという分かるような分からないような理由で、乱暴な改革をすることにも注意したい。
昭和は…平成は…と言いたくなるのも分かるけれど、それも5年刻みで見える光景は違うわけで。どれだけ血を流したんだろう。戦争や震災で。
終わらない日常が続いている。世の中の変化にいちいち敏感である、たたかう市民でありたいと思った次第だ。うん。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2019年4月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。