バチカン・ニュースが5日、報じたところによると、ドイツに住むユダヤ人の数が昨年とうとう10万台を割り、9万6000人となった。2006年には10万8000人だったから、ユダヤ人の数が1万2000人少なくなったことになる。多くはイスラエルに移住していった。
旧ソ連の解体後、多くのユダヤ人がドイツに移住し、その数も年々、増加傾向が続いてきたが、2006年をピークに減少傾向が出てきた。ユダヤ人口の減少の背景には、第一には、ユダヤ人社会の低出産率と高齢化がある。例えば、新生児の数は昨年226人で、死亡数は1557人だった。
それだけではない。1990年代、旧ソ連の解体、そこに住んでいた多数のユダヤ人がドイツに移住したが、ここにきて今度はドイツに住むユダヤ人がイスラエルに移住する傾向が出てきたのだ。イスラエル政府の積極的な移住政策もあるが、それ以上に反ユダヤ主義が席巻する欧州に危機感が高まっていることが、ユダヤ人をイスラエルに向かわせていることは間違いない(「独のユダヤ人社会で高まる危機感」2018年4月27日参考)。
特に、2015年の中東・北アフリカからの100万人を超えるイスラム系難民・移民の殺到でドイツ内に反ユダヤ主義傾向がいやがうえにも高まり、反ユダヤ主義的犯罪が増加し、ドイツのユダヤ人は住みにくくなった。
ユダヤ人家庭ではユダヤ人というアイデンティティを隠しながら生活せざるを得なくなってきた。ユダヤ人と直ぐに分かるキッパの代わりに、野球帽をかぶる一方、自己防衛のトレーニングに通うユダヤ教のラビも出てきた。
考えてみてほしい。ドイツに住む10万人弱のユダヤ人社会に100万人を超えるイスラム系難民が殺到してきたのだ。その大部分が国で反ユダヤ教、反イスラエルの強い教育を受けてきた人々だ。単純な計算からいっても、15年以降、ドイツに住むユダヤ人が反ユダヤ主義的な襲撃や中傷を受ける危険率は10倍に膨れ上がったといえる(「イスラム系移民のユダヤ人憎悪」2017年12月22日参考)。
独ユダヤ人中央評議会のジョセフ・シュスター会長は当時、「シリアやアラブ諸国出身のイスラム教徒は祖国で反ユダヤ民族の教育を受けてきたはずだ。『彼らが欧州に定着すれば、欧州でアラブ諸国出身の反ユダヤ主義が台頭する恐れが出てくる』という懸念をメルケル首相に伝達した」と述べていたが、その恐れは3年後、現実となってきたわけだ。
ドイツだけではない。欧州でアラブ系人口が最も多いフランスではイスラム過激テロ事件が多発し、2015年1月にパリのユダヤ系商店が襲撃された時、フランスのユダヤ系社会ではイスラエルに移民すべきだという声が高まった。フランスではここ数年、シナゴークやユダヤ系施設への襲撃が絶えない。フランスでは2014年1年間だけでも約7000人が移住している。
欧州に住むユダヤ人は過去、極右勢力、ネオナチ・グループの反ユダヤ主義の台頭に警戒してきた。欧州にイスラム系難民が殺到した15年以降、欧州に住むユダヤ人は、イスラム過激派の反ユダヤ主義にもさらされてきた。すなわち、欧州居住のユダヤ人は極右過激派とイスラム過激派の攻撃の対象となってきたわけだ。
ちなみに、ドイツで反ユダヤ主義の言動で告訴された件数は年平均1200件から1800件になる。これまでその90%は極右グループやネオナチたちの仕業だったが、ここにきてイスラム系住民の反ユダヤ主義の言動が増えてきている。
アウシュヴィッツ強制収容所があったポーランドでは今日、ユダヤ人はほとんどいなくなった。アドルフ・ヒトラーの政権下でユダヤ民族の抹殺政策が実施されたドイツには戦後、ユダヤ人が戻ってきたが、そのユダヤ人たちが再び去っていこうとしている。
奇妙な点は、ユダヤ人がいなくなった後もポーランドでは反ユダヤ主義が欧州の中でも激しいことだ。ユダヤ人が急減してきたドイツでも近い将来、同じことがいえるかもしれない。「ユダヤ人がいなくなったにもかかわらず、ドイツでは反ユダヤ主義が広がってきた」という現象だ。
反ユダヤ主義の背景を歴史的、民族的、社会的、文化的な観点から慎重に研究する必要があるだろう。ユダヤ民族はナチス・ドイツ軍によって同胞600万人を失い、ホロコーストから生き延びたユダヤ人は、死者となった同胞に対し良心の呵責を感じながら生きてきた悲しいディアスポラだ(「ユダヤ人が引きずる『良心の痛み』」2018年2月19日参考)。
これは当方の希望だが、反ユダヤ主義のルーツや背景が解明されれば、ひょっとしたら、キリスト教の発生や共産主義の台頭など他の歴史的出来事の意味もこれまでとは違った視点から理解できるようになるのではないか。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年4月7日の記事に一部加筆。