スイス連邦政府は3日、連邦議会の強い要請にもかかわらず、2017年7月に承認された核兵器禁止条約の署名を延期し、2020年まで議論を重ねるという。その理由は、米国と旧ソ連との間で締結されていた中距離核戦力全廃条約が破棄されたことを受けた対応という。スイスのニューサイト「スイス・インフォ」が4日報じた。
冷戦時代の核軍縮の大きなステップで、冷戦終結に大きな役割を果たした中距離核戦力全廃条約が破棄されれば、ロシアは当然、欧州国境線沿いに中距離核戦力の配置に乗り出す可能性が考えられる。そうなれば、中立国とはいえ、スイスも核兵器戦争の危機から完全には除外されなくなる。そのような状況下で17年7月に承認した核兵器禁止条約を署名すれば、国防上、選択肢を自ら制限することになる。核戦争の勃発を想定し、国内に核シェルターを設置しているスイス国民の自国防衛という精神にも影響を及ぼす、といった懸念が出てくるわけだ。
核兵器禁止条約は2017年7月7日、122カ国・地域の賛成多数で採択されたが、2019年2月段階で署名国は70カ国、批准国は22カ国に過ぎない。条約は50カ国が批准を終え、その3カ月後に発効することになっている。多くの国は核兵器禁止条約は政治宣言としては素晴らしい内容だが、現実的ではないと受け取っていることが分かる。スイス連邦政府には、「全ての核保有国が参加していない条約に意味があるのか」と、条約に対して基本的な不信がある。
核関連条約では核拡散防止条約(NPT)がある。核保有国には核軍縮を要求する一方、非核国には核の保有、製造を禁止する。NPTは核保有国の核保持を保証する一方、非核国にだけ義務を強いている不平等条約という批判の声が久しく聞かれる。実際、5年ごとに条約の運用を協議する運用検討会議が開催されるが、核保有国の核軍縮は進展していないだけではなく、核の近代化が進められている状況下で、非核保有国が核兵器禁止条約に署名すれば、その不平等はさらに広がるというわけだ。NPTは核保有国に核軍縮を求めるが、核兵器禁止を義務づける条約ではないからだ。
一方、核兵器禁止条約は核保有国と非保有国の区別はない。例えば、包括的核実験禁止条約(CTBT)のように条約発効に研究用・発電用の原子炉を保有する国44カ国の署名・批准が不可欠といったハードルはない。CTBT条約が1996年9月に条約署名を開始しながら、20年以上経過したが、まだ発効できていない大きな理由だ。一方、非核国だけでも核兵器禁止条約を発効をできる。発効すれば、核保有国に核兵器の全廃を迫ることになるから、条約に参加していない核保有国と核兵器禁止条約締結国(非核保有国間)の対話を途絶えさせることにもなる、という批判の声がある。
中立国のスイスだけではない。世界唯一の被爆国・日本も核兵器禁止条約を承認したが、署名していない。その理由は核兵器禁止条約が本当の「核なき世界」を実現する道というより、むしろ妨害する危険性が排除されないからだ。拓殖大学の佐藤丙午教授は、「現状の核兵器禁止条約に署名すれば、核の破棄ではなく、核の拡大という全く逆の結果を生み出す危険性がある」と指摘している。
例えば、条約第1条で、条約締結国の法的義務を規定し、核兵器その他の核起爆装置の開発、実験、生産、取得、貯蔵、移譲、受領、使用、威嚇を禁じ、配置、設置、配備の許可を禁じ、他の締結国に対して、禁止されている活動を行うことにつき援助、奨励、勧誘も禁じている。
条約第1条に基づくならば、日本が核兵器禁止条約締結国となれば、①核兵器禁止条約の条約国に核兵器の持ち込みは禁止されているという理由で、米国は日本を米軍の核で守る義務はなくなる、と受け止められる可能性が出てくる、②米国の核の傘がなくなれば、日本は、中国や北朝鮮の核に対して独自の防衛体制を検討せざるを得なくなり、独自の核兵器製造に乗り出さざるを得なくなる、というわけだ。
オバマ前米大統領は2009年4月、プラハでの演説で「核兵器なき世界」の実現を世界に向かってアピールしたが、核兵器の全廃という目標を実現するまでにはまだ程遠い。「使用できない武器」と呼ばれだした大量破壊兵器、核兵器を秘かに製造しようとする国が絶えない一方、核兵器保有国はその武器を率先して手放す考えは毛頭ない。
その一方、世界は、恐ろしい結果をもたらす核兵器を禁止しなければならない、という点でコンセンサスがほぼ出来上がってきた。核兵器禁止条約が2年前に採択され、署名が開始されたのも偶然ではない。だから、核保有国と非保有国は対話を継続しながら、一歩一歩、「核なき世界」の実現に向かって地道な努力を重ねていく以外に現時点では他の選択肢がない。
スイスの場合、核兵器禁止条約に署名しなければ「人権と軍縮で世界を主導してきたスイスへの信頼性が揺れる」ことを恐れる声が強い。それだけに政府に対して署名へのプレッシャーは日毎に強まっている。一方、世界唯一の被爆国の日本は、中国共産党政権と独裁国・北朝鮮という隣国が核保有国であるだけに、「核兵器なき世界」の実現というコンセンサスもやはり異なった対応を強いられるわけだ。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年4月12日の記事に一部加筆。