皇位継承の儀式と本質的論点を考える

藤原 かずえ

皇位継承が近づいた今、この記事では今回の皇位継承の儀式について分析した上で、皇位継承の本質的な論点について考えたいと思います。

奈良時代に皇位継承の儀式が行われた平城京の大極殿-2010年撮影

皇位継承の儀式は、悠久の過去から日本に秩序を与えた原始宗教の価値観を表現したものです。長期にわたり繰り返されたこの行動は形式化され、日本人共通の文化となって現在に至っています。この一連の儀式は固有のインフラと神器を伴うものであり、システムとしてとらえた場合には、現存する無形/有形の総合的な文化遺産と言えます。

天皇の譲位

今上陛下の譲位に関連する儀式は、平成29年(2017年)6月16日公布の天皇の退位等に関する皇室典範特例法に則って行われます。宮内庁は今回の「譲位」をあくまで「退位」と呼んで、儀式の運営を行っています。平安時代の貞観儀式で定められた譲位の儀式は、本来は「譲位儀」と呼ばれます。この譲位儀に向けた天皇の譲位のプロシージャのすべては、以下に示すように、皇祖神や天神地祇への「報告事項」であり、その承認を得ることで譲位を進めていくことになります。

◎賢所・皇霊殿・神殿に退位及びその期日奉告の儀
宮中三殿の賢所・皇霊殿・神殿に今上陛下が譲位及びその期日を奉告される儀式です(2019/03/12)。すなわち、この儀式を通して、今上陛下は天照大神の形代(賢所)、歴代天皇と皇族の依代(皇霊殿)、いわゆる八百万の神である天地の神々の依代(神殿)の順で譲位及びその期日を奉告されました。

ちなみに、賢所には皇祖神天照大神が祀られていて、伊勢神宮の御神体の八咫鏡《やたのかがみ》の形代(天照大神の依代)が安置されています。天照大神の御神体は伊勢神宮にあり、宮中に存在するのはあくまでも形代です。これは10代崇神天皇が天照大神の御神体を宮中に祀ったところ凶事が発生したためであり、その後に11代垂仁天皇が伊勢神宮を創建して御神体を祀った経緯があります。先祖と住むのは災いの元ということです(笑)。

◎神宮・神武天皇山陵・昭和天皇以前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀
皇祖神天照大神の御神体を祀る伊勢神宮並びに神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵(孝明天皇陵、明治天皇陵、大正天皇陵、昭和天皇陵)に譲位及びその期日を奉告し幣物を供えるために勅使を派遣されました(2019/03/12)。なお、ここでいう「並びに」「及び」の表現と順番は序列を表しています。

◎神宮・神武天皇山陵・昭和天皇以前四代の天皇山陵に奉幣の儀
予告通り、神宮並びに神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に譲位の期日を勅使が奉告し、幣物を供えました(2019/03/15)。

◎神宮・神武天皇山陵・昭和天皇に親謁の儀
退位に先立ち、神宮並びに神武天皇山陵及び昭和天皇山陵に今上陛下が行幸され、拝礼される儀式です。行幸の順は、神武天皇山陵(2019/03/26)、伊勢神宮(2019/04/18)、昭和天皇山陵(2019/04/23)であり、天照大神・神武天皇・昭和天皇の御神体に譲位を行うことを直接奉告されました。

◎退位礼当日賢所大前の儀及び皇霊殿・神殿に奉告の儀
譲位の当日、天照大神の形代(賢所)、歴代天皇と皇族の依代(皇霊殿)、天地の神々の依代(神殿)に今上天皇が譲位を行うことを奉告されます(2019/04/30)。

◎退位礼正殿の儀
譲位を広く国民に明らかにされるとともに,今上陛下が譲位前に最後に国民の代表に会われる儀式(譲位儀)です。宮殿正殿松の間において、侍従が剣(草薙剣《くさなぎのつるぎ》の形代)、璽(八尺瓊勾玉《やさかにのまがたま》の実物)並びに国璽(国の印章)及び御璽(天皇の印章)を持ち、皇太子同妃両殿下始め成年の皇族各殿下が列に加わります。この儀式により、今上陛下は天皇の証である剣璽(草薙剣の形代と八尺瓊勾玉の実物)を国に返還され、譲位されることになります(2019/04/30 17:00-17:10)。

この儀式の様子はテレビ・インターネット中継され、瞬時に国民の知るところとなります。ちなみに、この瞬間以降、翌2019/05/01 10:00-10:30に行われる皇太子殿下による剣璽等承継の儀まで日本国に天皇は不在となりますが、これは異例のことではありません。譲位儀と剣璽等承継の儀は別個の儀式であり、必ず時間差が生じます。先帝と新帝の御在所が異なる場合には、神器の運搬が必要となり、より多くの時間差が発生しました。

以上の一連の儀式を通して、皇祖神を始めとする神々の承認を丁寧に得た上で天皇が位を新帝に譲るという行為が成立することになります。これらの日本固有の儀式は、森羅万象に尊崇の念をもって感謝するアニミズムを主体とする原始宗教の価値観を行動で表現したものであり、その価値観に基づく過去の日本で生きた祖先を前提として存在する現在の日本国民にとっては、共通の文化遺産であると言えます。

朝日新聞や毎日新聞などの急進的マスメディアや進歩的文化人は、宗教分離という現代の政治的価値観を振りかざして、この文化を宗教と認定し、国事行為としての認定や税金の支出を問題視しています。もしもこのような文化的行事に宗教性が一部内包されていることを問題視するするのであれば、国立博物館が仏教を中心とした宗教に関連する文化財を大量に所蔵していることについても問題視する必要がありますし、法隆寺や東大寺や清水寺を国宝に認定するのも問題です。

また、終戦記念日に政府主催で行われる全国戦没者追悼式で天皇と総理大臣が戦没者の霊に向かって慰霊する行為についても、霊が存在するという反証不可能な信仰に基づく宗教行為に他ならないので問題視する必要があります。

平安京の大極殿をモデルにした平安神宮-2009年撮影

改元

皇位継承に伴って一般的に行われるのが改元です。今回の平成から令和への改元にあたっては、2019/04/30 24:00=2019/05/01 00:00に行われます。今上天皇が践祚(せんそ)された(剣璽等承継の儀により天皇の位につかれた)のは1989/01/07(昭和64年1月7日)であり、昭和から平成への改元が行われたのは1989/01/07 24:00=1989/01/18 00:00(平成元年1月8日)です。

元号は天皇が決定するものであり、践祚してから改元が行われるのが通例ですが、改元してから践祚が行われたと考えられる例もあります。光仁天皇は宝亀から天応へ改元(1月1日)された3カ月後に譲位し、第一王子が践祚しました。桓武天皇です。天応へ改元の理由は伊勢斎宮に美雲が出たことによるものとされていますが、実質的には天皇の交代による改元である代始改元です。

この先例に従えば、年が替わる1月1日や年度が替わる4月1日に先行して改元することも不可能ではないと言えます。なお、桓武天皇の正式な代始改元は翌年の8月に行った天応から延暦への改元とされています。

古来より、元号(年号)は、学者(勘申者)が提案して天皇が決定するものでした。現在は、学者が提案して、国民の有識者と立法の長が意見を出し、内閣で決定し、天皇に報告することになっています。このプロシージャであるのならば、必ずしも改元1か月前の決定でなくてもよく、改元までに十分な余裕をもって発表するのも同じであると言えます。

なお、現在のように天皇の在位期間と元号を厳密に一致させる一世一元制が採用されたのは、まだ日も浅く(150年以上も前ではありますが 笑)1868年の慶応から明治への改元からです。過去の伝統を考慮に入れれば、天皇の践祚の翌年の1月1日や4月1日から改元するなど、フレクシブルな対応も可能であると言えます(むしろそれが伝統でした)。その点も含めて改善する余地はあると考えます。

皇太子の即位

「皇太子の即位」という言葉は、本来は正しい言葉ではありません。皇太子は「践祚」して天皇になり、天皇が「即位」します。「践祚」は天皇の位につくことであり、「即位」は天皇の位についたことを宣下することを意味します。但し、現行の皇室典範では「践祚」と「即位」を一括りにして「即位」と呼んでいるため、「皇太子の即位」という言葉で表現しています。ちなみに、桓武天皇以前は「践祚」と「即位」は区別されずに同義で用いられていました。以下、今回の即位における最初のプロシージャを以下に示します。

◎剣璽等承継の儀
天照大神は天孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天界から降臨する際に、いわゆる三種の神器を神代として授けたと古事記に記述があり、践祚は、このうち草薙剣の形代と八尺瓊勾玉の実物の物理的な継承をもって行われてきました。

三種の神器
– 八咫鏡(実物:伊勢神宮の内宮、形代:宮中の賢所
– 八尺瓊勾玉(実物:皇居の剣璽の間)
– 草薙剣(実物:熱田神宮、形代:皇居の剣璽の間)

宮中の正殿松の間において、この草薙剣の形代と八尺瓊勾玉の継承を行うのが践祚の儀式である剣璽等承継の儀であり、2019/05/01 10:00-10:30に予定されています。皇太子殿下が践祚されることは、テレビ・インターネット中継されるために瞬時に国民の知るところとなります。これは実質的な即位に他なりません。ちなみに正式には2019/10/22に行われる「即位の礼」をもって即位が行われます。ちなみに今上天皇の即位の令は喪が明けた平成二年に行われました。

◎即位後朝見の儀
皇族各殿下が参列される中、新帝がおことばを述べられ、内閣総理大臣が国民代表の辞を述べます。2019/05/01 11:10-11:20に予定され、インターネット中継されます。

◎賢所の儀
新帝が宮中の賢所で皇位を継承されたことを天照大神の形代に奉告されます(2019/05/01-03)。

◎皇霊殿神殿に奉告の儀
新帝が皇霊殿神殿に皇位を継承されたことを奉告されます(2019/05/01 御代拝)。

以上、神々の承認を受けて譲位儀を行う譲位のプロシージャとは逆に、即位のプロシージャは、まず践祚があってその事実を皇祖神を始めとする神々に報告するというものです。現代ではテレビ・インターネット中継があるため、践祚と同時に狭義の即位が実質的に完了します。

なお、2019/05/04には皇居で一般参賀が行われます。これは儀式ではなく行事ですが、即位の一環であることは間違いありません。この後、新帝は神宮並びに神武天皇山陵及び昭和天皇山陵に行幸されるとともに、大嘗祭のための斎田を定められます。そして秋の2019/10/22に「即位の礼」(正式な即位)、2019/11/14に「大嘗祭」(即位した天皇が初めて行う新嘗祭)が執り行われます。ちなみに、奈良時代と平安時代の前半において、即位の礼は日本で最も重要な儀式とされ、内裏の中心にある最高の建築物である大極殿で行われました。

即位の礼に用いられた高御座のモデル-2010年撮影

皇位継承の本質的論点

皇位継承の論点はいくつかありますが、ここまで述べてきた譲位の儀・即位の儀と国との関係や改元のタイミングもその一つでしょう。ただ、本質的には立太子の規定と譲位の規定に関する論理的な議論を回避できないところまで来ていると考えます。

■立太子の規定

皇位継承の順序は皇室典範によって定められていますが、皇統の継続のために皇室典範の変更は不可欠であると考えます。その基本は、これまでに天皇が天皇である所以であるY染色体を根拠とする男系継承の原則です。この原則は天皇の「定義」であり、男系継承が悪で女系継承が善であるというような「倫理」の問題ではありません。

万世一系の皇統が途切れないよう、継承者が不在の場合には皇統を遡って男系の継承者が皇位につくことがルールです。この伝統については、GHQの命令によって非民主的に廃止された旧宮家を復活させることによって維持することが可能であると考えます。

極めて危惧されることは、少なくとも千数百年続いた、世界に類を見ない固有の国民統合システムを、論点がまったく異なる民主主義という名の下に、生半可な知識や特定勢力の扇動によって形成された価値観を一部国民が振りかざすことによって、皇統の伝統が一瞬で安易に破壊されることです。このことは、日本人の祖先が継承してきた過去の価値観に対する冒涜であり、今後どのように変化していくかわからない未来の価値観に対する冒涜である可能性もあります。

国民の判断には可逆的なものと不可逆的なものがあります。例えば、民主党政権は実現不可能なマニフェストを提示して国民を騙すことで悪夢の政権交代を実現しましたが、これは国民が再び政権交代を実現することで修復可能でした。その一方、ひとたび女系天皇が誕生した場合、たとえ男系に戻したくても、女系天皇から皇統を取り上げることは事実上困難であると予想されます。一部国民の暴走した感情がこれを許容しないと考えられるからです。

情報弱者層が好んで視聴するワイドショーや一部芸能雑誌などでは、一方的な女系天皇容認論が展開されています。この状況に呼応して、朝日新聞のような女系天皇容認メディアが世論調査を実施すると「女系天皇を認めるべきだ」という意見が多数を占める現状があります。これはマスメディアに好き放題に誘導された民主党政権交代時の情報弱者層の意識とよく似ています。

国民の情報を支配するこのようなマスメディアの情報操作によって、深く考えることもなく一時的に一方向に暴走していくのが、平成日本の特徴でした。民主党政権交代の他にも、細川政治改革、小泉郵政改革、安保法制反対、小池劇場、モリカケなど熱狂的な盛り上がりを見せたものの、実際には中身のないポピュリズムやセンセーショナリズムでした。このような暴走を止めるためにも、皇統の継続を安定化させる旧宮家の復活は不可欠と考えます。また旧宮家の復活によって現在の皇室に作用している多大なプレッシャーを軽減することができるものと考えます。早期に議論を開始することが重要と考えます。

■譲位の規定

皇統の存続に影響を及ぼすことがないという絶対条件の下に、天皇が高齢による職務の継続の困難を理由にして自らの意志によって譲位することについて私は賛成です。譲位によって、大喪の礼を伴わない皇位継承と改元が行われることは、先帝に対する感謝と新帝に対する祝意を国民が心置きなく表すことができ、非常に前向きに時代の転換を迎えることもできます。事実、令和への改元に多くの国民がポジティヴな感情を持っており、まさに皇室が国民統合の象徴になっていると言えます。

このような譲位にあたっては、当然のことながら確固たる規定が必要です。[前回記事]にも書いた通り、このための規定としては、心身の健康に関わる客観的基準を満たした場合にのみ、国会の承認を条件として、天皇が皇位継承順位第一位の皇族への譲位を選択できる(譲位を妨げない)規定を皇室典範に追加することが考えられます。例えば、過去の事例を見ると、75歳以上で在位した天皇は昭和天皇と今上陛下のみであり、75歳以上を要件にして天皇が希望すれば皇位継承順位第一位の皇族へ譲位できるということにすれば、長期にわたる二重構造や天皇の政治利用を排除して天皇の最低限の人権を確保することができるものと考えます。

国民主権の日本国において、政治性を持たない天皇が院政を引くことは論理的に不可能ですし、皇道を貫くために在位を希望する天皇を政局で退位させる政治家を国民が許容することも実際上はありえないと考えられますが、すべての不測の事態を排除する論理的な法整備は皇室制度を守るために必要と言えます。

同様に、皇統の存続に影響を及ぼすことがないという絶対条件の下に、一定の年齢を超えた皇位継承資格者が職務の執行の困難を理由にして自らの意志によって践祚を辞退することについても私は賛成です。践祚辞退の確固たる規定があれば、皇統の存続には影響を及ぼしません。

今上陛下の譲位によって、国民の総意と言えるほどの支持を背景とした穏やかな皇位継承が行われる今、普遍的で頑強な立太子の規定と譲位の規定を慎重に模索することが重要であると考えます。最も回避すべきことは、急進的マスメディアや進歩的文化人の世俗的価値観に誘導されて、現代の国民が盲目なままに「天皇の定義」を変えてしまうことです。


編集部より:この記事は「マスメディア報道のメソドロジー」2019年4月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はマスメディア報道のメソドロジーをご覧ください。