問題提起としては意義のあったNHK『日本人と天皇』

松井 孝治

NHKが平成から令和への御代替りに放送した「ゆく時代 くる時代」には心底失望しましたけれど、それに先立って放送されたNHKスペシャルはなかなかの力作でした。

下記に記述する通り、基本的な構成、映像の切り取り方にバイアスというか、NHKスペシャル特有の臭いは感じましたが、特設スタジオでの大嘗祭の一部再現やこれまで正面から取り上げられることが少なかった泉涌寺への取材、明治以前の皇室と仏教のかかわり、三笠宮殿下の貴重な音源、石原・古川両元官房副長官へのインタビューなどで、この番組の表題『日本人と天皇』の本質は浮かび上がっています。

NHK番組サイトより:編集部

皇室と宗教という問題、そもそも日本人にとっての宗教、特に神道や仏教とは何なのか、伝統と重なりあった宗教的儀式をどこまで現行憲法が許容するのかといった問題は、御代替りをまさに体験している我々が、今一度考えていかなければならない問題だと思います。

昨今流行の「開かれた皇室」は時代の潮流だとは思いますが、それを強調する余り、皇室祭祀を軽んずるようなことがあってはならないと思います(関連拙稿『今こそ考えたい宮中祭祀の意義』)。その意味で、昭和天皇から上皇陛下に皇室祭祀の重要性がしっかりと継承されたことは何よりのことでありました。NHKが今回、神官としての天皇陛下にスポットを当てたことは、そのことをご存じない多くの国民に、国民の安寧を祈られる陛下の実像を伝える意味で意義があったと思います。

石原信雄氏(NHK「日本人と天皇」より:編集部)

石原信雄・元内閣官房副長官のインタビューでは、憲法の政教分離原則のもとで、内閣がどこで線を引かざるを得なかったのかが明らかになっていたと思います。賢所に、天照大御神の「御神体」としての「八咫鏡」が奉置されていることは紛れもない事実であり、天皇陛下が賢所で国家国民の安寧を祈られることこそが、歴史的には陛下の最重要のお務めであり続けてきているにもかかわらず、日本国憲法の下では、それを国事行為として明定出来なかった矛盾。その中で、内閣としては、皇室行事を精一杯「お支えする」ところで線を引くしかなかったという立場が、石原氏の肉声で伝えられていました。

安倍首相が、戦後レジームを見直すとおっしゃるのなら、憲法9条問題が実効的にはほぼ解消されている現在、宮中祭祀を現行憲法の政教分離原則で縛るというような非伝統的な考え方こそ見直していただきたいというのが私の内心の願望ですが、現状で国論を分かつ危険を冒すことまで求めるものではありません。

ただし、先の秋篠宮殿下(現・皇嗣殿下)の大嘗祭に関する御発言(大嘗祭を宮廷費でなく内廷費でまかなうべきというご趣旨)のような議論が出てきますと、石原氏が苦労しながらひかれた一線もまた危うくなりかねません。ちなみにこの番組では三笠宮崇仁殿下の御発言や御主張のご紹介もありましたが、平成28年(2016年)8月の天皇陛下の御会見も含めて、象徴であらせられる陛下や、御皇族方の、国政に多少なりとも関わる事柄に関する御発言の意味についても歴史的視点も含めて取り上げられれば、より議論が深まったのではないかと思います。

インタビューで危機感を示した古川氏(NHK「日本人と天皇」より:編集部)

この番組のもうひとつのテーマは、皇位の安定的な継承の問題でした。

本件に関する、内閣の危機意識、特に古川貞二郎元官房副長官の危機感は、この十数年来、氏にお会いしてゆっくりとお話する度に伺っており、私としても大いに理解し、共感するものです。慎重な古川さんが、自然消滅の危機という強い言葉を敢えて使っておられたのが印象的でしたが、古川氏はインタビューで具体策には言及されてはおいでではありませんでした。

皇位継承問題で、この番組が取り上げていた問題のひとつが側室問題でした。特に近世以降の天皇のうち正室を母に持たれた方が、かほどに稀であることを明らかにしたことは、それは男系主義の裏表でもあるのですが、番組の一つの眼目だったのだと思います。

もうひとつ、個人的に印象的だったのは、故三笠宮崇仁殿下のラジオ番組での、華族の廃止で「外堀」が埋められたとの率直なご発言でした。皇籍を離脱しても、いきなり一般国民という立場ではなく、華族というエリアにとどまれれば、人々の旧宮家の方々への認識は異なっていたのかもしれないという意味で、含蓄のある表現をなさるものだと感じ入った次第です。

私は、二千有余年の我が国皇室の伝統を、現代の我々が試行的に変革することは許されないと思います。そんな中で、皇位の安定的継承を確保するためには、旧宮家の復活が残された極めて限られた解決策であることは論を俟たないと思います。

旧皇族の方々にアンケート調査を送付された取材手法には批判もあろうとは思いますが、多くの視聴者が必ずしも意識していない旧宮家復活問題を取り上げたことは(取り上げ方にバイアスがあるとは言え)この番組のひとつの成果だと思います。

いずれにせよ、皇位継承問題は、我が国の長い歴史に謙虚であるという基本を踏み外すことなく、また、できる限り国論を二分する愚を冒すことなく、国民的合意を求めていくことが必要な問題であることは、この場でも何度も申し上げてきたことです。

平沼氏(NHK「日本人と天皇」より:編集部)

政党がその立ち位置、価値観を明確にして、国民の支持を競うのは政党政治の大原則ではありますが、事この問題に関する限り、出来るだけ多くの政党が、静謐な環境で国民的合意を得るべく、水面下で努力を重ねて頂きたいと私は思っております。選挙を前に、他の政策課題で自らのアイデンティティを確立できないのに、この問題で差別化を図るがごときはおよそステイツマンシップの対極にあるものだと思います。

番組では、例えば園部元最高裁判事と平沼赳夫元議員を対置して、本件についての議論を紹介していましたけれど、インタビュー構成や画像の切り取り方にはバランスを欠く面があり(平沼元議員は必ずしも体調が万全とは思われないのにその言い淀みの部分をそのまま使われていたり、集会中万歳三唱の部分を使用されていたりしたのは番組編集の意図を感じました)、折角の好企画なのに、フェアネスの面で画竜点睛を欠いていたのではないかと残念に思いました。

以上のような問題はともかくも、NHKスペシャル「日本人と天皇」は、天皇と祭祀、或いは日本の伝統と宗教、更には皇位継承の今後の課題について、周到な取材でエッジの立った問題提起を行った力作ではあります。今のところ再放送予定はWebには未掲載ですが、機会があれば、私の批判的論考も心の片隅に置いて、視聴されることをおすすめします。

一部の方からとても厳しい批判もあるNHKですが、私は、NHKスペシャルにしても、朝ドラにしても、今期の大河にしても、のど自慢にしても、日本の話芸にしても、LIFE!にしても、またクラシック音楽館にしても、それぞれ課題や批判はありながらも、NHKならではの発信をされているとは思っています。

冒頭の話題に還りますと、幅広い国民の安定的な受信料により支えられ、スポンサーの視聴率志向にとらわれなくて済むNHKとして、民放のバラエティー番組の二番煎じの安物を追うことだけはしないで頂きたいと願っております。


松井 孝治(まついこうじ)元内閣官房副長官、慶應義塾大学教授
1960年京都生まれ。東大教養学部卒業後、通産省入省。橋本政権下では内閣副参事官として「橋本行革」の起案に携わった。通産省退官後、2001年の参院選で初当選(京都選挙区)。民主党政権では鳩山政権で内閣官房副長官。13年7月の参議院2期目の任期満了を持って政界を引退。現在は慶應義塾大学総合政策学部教授。


編集部より:この記事は、松井孝治氏のFacebook 2019年5月2日の記事を元にアゴラ向けに加筆、寄稿いただきました。掲載を快諾いただいた松井氏に心より感謝いたします。