歴史的なお代替わりに伴う史上初の10連休も終わってみればあっという間だった。
きのうの最終日、夫婦で2歳の長男を連れて池袋へ出かけた。今年60周年を迎えた、タカラトミー製の鉄道おもちゃ「プラレール」のイベント(プラレール博)がサンシャイン60で開催されていたが、場所が池袋ということでどうしてもあの事件のことが頭に浮かんで離れなかった。
連休前の4月19日、87歳の元通産省幹部が運転する暴走車が、自転車で横断中だった母子をはねて死亡させた凄惨な交通事故だ。
実は、この日、サンシャインに向かう際、有楽町線の東池袋駅を利用していた。東池袋に降りたのは何年ぶりだったろう。タワマン建設の再開発に伴い、駅からサンシャインに直結する地下道がすっかり整備されていた。都内とはいえ、地理に疎いエリア。事故現場の場所を調べると、東池袋駅のほぼ真上だったことに気づき、なおさら帰り際に現場を訪れなければという義務感にも似た思いに駆られた。
サンシャインからの「帰路」は地下道ではなく、ベビーカーを押して地上を歩いた。15分ほどで現場に着く。事故から半月余り経ったが、歩道沿いに献花や供物のための台が設置され、無数の花や飲食物が供えられていた。短い時間、自分がいた間だけでも何人ものかたが入れ替わり立ち替わり訪れては、手を合わせたり、お供えものを置いたりしていく。
車道は何事もなかったかのように、車が次々と走り過ぎていく。しかし、現場に漂う空気はどこかまだ重く、そして物哀しさを帯びていた。薄日が射す曇り日ではあったが、何か言い知れぬものを感じていた。手を合わせ、ただ、ただ、心から哀悼の意を捧げるだけで精一杯だった。
自分は「霊感」のようなものはとんと弱いはずだと思っていたが、考えすぎにしても、犠牲になられたお二人に思いを寄せずにはいられなかった。
松永真菜さん(31歳)と莉子ちゃん(3歳)、どんなにか無念だったろうか。
現場をその目で見たいという思いに駆られたのは、純粋にお悔やみを直接伝えたかったからだが、反面、正直なところ「メディア屋」として、考え伝えていくべき「時代」の本質に触れなければという職業的なエゴも多少あったとは思う。
お二人、ご遺族の方にはこのような残酷な運命になったことは、本当に迷惑なことでしかないが、しかし、改元を直前に控えた時期に起きた事故は、日本社会がこれから直面する超高齢化社会のさまざまな難題を私たちに突き付けたのは間違いない。重さを改めて胸に刻んだ。
きょう10連休が明け、お二人が生きて迎えられなかった令和の時代が本格始動する。平成のように失われた何十年ということにはならないようにしたいが、前途多難だ。
零細メディアの運営や広報コンサルを細々とやっている非力な身には、社会を前に進めることなど大してできないが、誰かが社会を前に動かすきっかけを一つや二つくらい作ることくらいならできるのではないか––。祈りながらそう思ったひとときだった。
読者の皆様、令和最初のエントリー、ポエム色が強くなってごめんなさい。日頃はWrite Like Takingの気風を備えた私でも、今日はここまで言葉を絞り出すのがやっとでした。拝
令和元年五月七日
アゴラ編集長 新田哲史