日韓メディアでは安倍晋三首相の訪朝に関する記事が増えてきている。その一方、北朝鮮の食糧不足が深刻化しているというニュースがローマの国連食糧農業機関(FAO)から発信されている。安倍首相訪朝と対北食糧支援が密接に絡みながら水面下で日朝間の外交交渉が進められてきた、といった憶測が流れている。
そこで日韓メディアで報じられてきた最近の安倍首相訪朝関連ニュースを整理しながら、日朝首脳会談の可能性などについて考えた。
①日本政府は3月、欧州連合(EU)と共に国連人権理事会に提出してきた「北朝鮮人権決議案」を保留。外交文書からは「北朝鮮に対する圧力を最大限に高めていく」という表現を削除した。
②安倍首相は先月26、27日、ワシントンでトランプ大統領と首脳会談し、そこで米国側は日朝首脳会談の実現に全面的に協力を約束した。
③安倍首相は5月2日付けの産経新聞とのインタビューの中で「条件を付けずに金正恩委員長と会って虚心坦懐に話し合ってみたい」と金正恩氏との直接の首脳会談に意欲を示した。同時に、「金正恩委員長は国家にとって何が最善かを柔軟に、かつ戦略的に判断できる指導者だと期待している」と話し、日本の首相としては異例の金正恩氏への人物評価を表明。この部分は金正恩氏を非難しないトランプ氏の人物評価の焼き直しの感もする。
④ 拉致問題担当相を兼ねる菅義偉官房長官が9日から12日まで拉致問題を協議するために米国を訪問する。ニューヨークで北朝鮮側と高官級接触のうわさが流れている 官房長官の訪米自体は異例。
北朝鮮の非核化実現のために米国と共に北朝鮮に圧力を行使してきた安倍首相が訪朝し、金正恩氏と会談することは外交上、容易ではない。一方、2021年9月まであと2年余りの任期となった首相としては自身の政治家としてのライフワーク、日本人拉致問題をぜひとも解決したい。そこでまず、トランプ大統領の了解を得るため、トランプ大統領を令和時代の最初の国家元首の国賓として招くなど、最大の待遇を準備。日本人拉致問題で日本の独自外交への理解を得る狙いがあったはずだ。その目的は一応達成されたと受け取っていいだろう。
次は、金正恩氏側の反応だ。トランプ米大統領との第2回米朝首脳会談(2月27、28日、ハノイ)は成果なく終わり、対北制裁解除という目標も実現できずに終了した。金正恩氏は中国との関係を強化する一方で、ロシアのプーチン大統領との初の露朝首脳会談(4月25日、ウラジオストック)を果たし、両国関係の堅持を国際社会に向かってアピール。4日に同国南東部の元山周辺から日本海に向けて数発の“飛翔体”(短距離弾道ミサイル)を発射し、軍事力を誇示したばかりだ。
金正恩氏は米朝関係の仲介役として利用してきた韓国の文在寅大統領がトランプ大統領から軽くあしらわれる現実を見る。金剛山観光、開城工業団地の再開計画も米国からの圧力で実行できない文政権に対し、失望を隠しきれない。韓国に代わるカードがない。そこに東京から安倍首相の首脳会談へのお誘いの声がかかってきたというわけだ。
日朝両国間には拉致問題だけではない。植民地支配に対する賠償金問題なども絡んでくる。日本が国連の対北制裁を違反しないで対北支援を実施できるかが問題となる。北朝鮮は深刻な食糧不足に悩まされている。人道支援は基本的には制裁対象とならない。国連食糧農業機関(FAO)と国連世界食糧計画(WFP)によると、北朝鮮は今年、136万トンの食糧が不足、人口の約40%に当たる国民が飢餓に苦しむとみられ、緊急支援が必要というのだ(韓国聯合ニュース)。
そこで金正恩氏が拉致された日本人を全員帰国させるならば、日本は国連機関を通じて北側が緊急に必要とする食糧136万トン分の支援金を拠出すると申し出る。金正恩氏が日本側の申し出を受け入れるか否かは不明だが、国内の食糧不足は深刻だ。人民軍の兵士の間でさえ食糧不足で苦慮している。簡単には断れない。
日本としては2002年9月17日の小泉純一郎首相(当時)と故金正日総書記間で合意した「平壌宣言」に基づき、拉致犠牲者の全員帰国が実現すれば、日朝間の国交回復などの次の手を打ち出せる余地が出てくる。金正恩氏にとって、日本拉致問題は父親の金正日総書記時代からの負の遺産だ。同氏がその気になれば解決の道は開かれるはずだ。
安倍首相にとって看過できない点は、国内の反応だろう。拉致問題の解決では国民のコンセンサスがあるが、北朝鮮の非核化実現からほど遠い状況で、人道支援という名目があるとしても、対北支援を約束することに強い抵抗が予想されるからだ。小泉元首相は初の訪朝時、手弁当持参で平壌入りし、故金正日総書記との会談では笑顔を極力抑えたという情報が流れた。小泉氏の国内向けの配慮だったはずだ。
参考までに、安倍首相の訪朝がメディアで報じられだしたことで、韓国の文政権下では警戒と懸念の声が聞かれる。韓国を越えて日本が北朝鮮との関係を強化し、朝鮮半島の非核化交渉でも米国と共に、韓国抜きで平壌と交渉するのではないか、といった悪夢だ。安倍首相の訪朝が実現される見通しが強まれば、韓国側からさまざまな妨害が出てくるかもしれない。
■
「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年5月7日の記事に一部加筆。