金融庁は片仮名が好きで、規則をルール、規則の主旨、即ち規則の根底を支える原理原則をプリンシプルと呼んでいるが、今の金融規制は、行政手法として、ルールからプリンシプルへの転換を明確にしている。
なぜなら、ルール遵守には深刻な弊害があるからである。それを要約すれば、最低限のことをしておけば責任を問われないという道徳意識の頽廃、最低限のことしかできない能力の貧困、最低限のことしかしようとしない怠慢の横行、この三点に尽きる。
金融庁は、この最低限のことをミニマムスタンダードと呼ぶ。実は、数多い金融機関のなかには、ミニマムスタンダードすら確実に履行できない論外に低次元なものもいるから、ミニマムスタンダードの徹底は必要である。
しかし、金融界の中核では、とうの昔にミニマムスタンダードが達成されていて、むしろ、ミニマムスタンダードの達成により安全圏を確保し、そこに安住していることが問題になっている。つまり、もはや、ミニマムスタンダードの達成は、顧客の利益のためではなく、金融機関自身の自己都合の保身手段になっていること、それが問題なのである。
故に、顧客の視点にたったとき、金融庁の課題は、ミニマムスタンダードの上を目指す経営努力を促すこと、即ち、金融庁のいうベストプラクティスの追求を促すことになったのである。いうまでもなく、ベストプラクティスの追求は、ルールによっては実現できず、各金融機関がプリンシプルのもとで創意工夫することによってしか実現できない。
ルール遵守の徹底によるミニマムスタンダードの確立は、もはや顧客の視点を完全に喪失している。ここで何よりも重要なことは、改めて顧客の視点に回帰することである。顧客の視点で創意工夫することにより、金融の社会的付加価値を創出すること、それがベストプラクティスの追求の意味でなければならない。
この顧客の視点を、金融庁は、フィデューシャリー・デューティーの徹底と呼んだ。とにかく、金融庁は片仮名が好きなのだが、片仮名の氾濫をおさえるためか、今の金融庁はフィデューシャリー・デューティーの徹底を顧客本位といっている。
さて、フィデューシャリー・デューティーとは、要は、専らに顧客の利益のためにベストを尽くす義務である。ミニマムとベストの間には、当然に大きな開きがある。故に、フィデューシャリー・デューティーの徹底のために、金融機関は、最低限のことをしておけば責任を問われないという道徳意識の頽廃、最低限のことしかできない能力の貧困、最低限のことしかしようとしない怠慢の横行、その全てを完全に超克しなければならないのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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