ナチス政権が「母の日」を公式制定

5月第2週目の日曜日、12日は「母の日」だ。夫が妻に、子供が母親に花やチョコレートをプレゼントし、日頃の母親の労に感謝する日として制定された「母の日」は世界の至る所で既に定着しているが、「母の日」の歴史は案外、長い。

「母の日」にプレゼントされるカーネーション(ウィキぺディアから)

「母の日」という呼称は1644年、英国で初めて設定されたという記録がある。18世紀に入ると「母の日」は広がり、1900年に米国に伝わった。そして米国の社会活動家アン・ジャーヴィス(Ann Jarvis)の娘アンナは自身の母の願いを実現するために「母の日」を設定し、全ての母に感謝する祝日とすることを呼び掛けた。その呼びかけは広がり、1904年に米45州が「母の日」を導入、1914年に米国の国家的祝日となったことから、「母の日」は米国発の祝日といわれているわけだ。

ドイツでは1923年、「母の日」が祭日となったが、それは花屋さんの商売魂から出てきたもので、夫や子供たちが妻や母親に日ごろの仕事に感謝するために花を買ってプレゼントすることを狙ったものだ。それが次第に定着していったが、国の祝日となったのはナチス・ドイツ政権が発足してからだ。

ナチス政権は母親の聖なる義務を鼓舞し、できるだけ多くの優秀な子供を産み、敬虔な民族社会主義者に成長させるようにという狙いから1933年「母の日」を公式に国家祝日とした。

ナチス政権は劣等な子孫の誕生を回避し、優秀な子孫を増やすという「優性思想」を奨励していた。その流れから、「母の日」を国家的祝日としてプロパガンダしていったわけだ。当時は女性が外で仕事をするという伝統はなく、男性が外で働き、女性が家を守り、子供を育てるというというものだった。

ナチス政権の崩壊後、ドイツは東西に分裂し、旧東独では女性は男性と同様、労働者とみなされ、「母の日」という祝日は消滅していった。その代り、5月8日を「国際女性の日」とした。旧西独では「母の日」は継続されていった。

ちなみに、ナチス政権が祝日とした日では、「母の日」以外では5月1日のメーデーもその一つだ。1886年、米国の労働者が8時間労働の要求デモから始まったメーデーはドイツでは祝日ではなかったが、ナチス政権は1933年に政権を掌握すると祝日とした。その他、ナチス政権は教会税を導入したことで知られている。ドイツの教会税は今日まで続いている。宗教と国家の明確な分離を建前とすることから、教会税はドイツ基本法に反しているという声が憲法学者たちから聞かれる。

「母の日」の話に戻す。日本では赤いカーネーションを「母の日」にプレゼントするが、オーストリアでも「母の日」にはチェコレートを買ってプレゼントしたり、花を買う習慣がある。子供たちはお小遣いをため、贈り物を買う。ただし、2組に1組のカップルが離婚するオーストリアではシングル・マザー、シングル・ファーザーが多いこともあって、子供から「母の日」を感謝される、といった幸運な母親の数は年々少なくなってきたことも事実だ。

「母の日」を前に、テレビではチェコレートのコマーシャルが頻繁に流れ、スーパーではスイス製の高級チェコが安く売られている。「母の日」はバレンタインデーと同じように商売人にとって稼ぎ時だ。

当方が小学校に通っていた時、先生から「母の日」のカーネーションには赤と白の2色あって、母親を亡くした子供は赤のカーネーションではなく、白いカーネーションだと聞いた。赤いカーネーションを先生からもらって家に帰る友達を羨ましく思ったものだ。

最後に、「母の日」に関連した名言を探した。以下はユダヤのことわざだ。

God could not be everywhere and therefore he made mothers.
神は常に貴方の傍にはいられないから、母を創造したのだ。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年5月12日の記事に一部加筆。