統一地方選挙にチャレンジしたある女性候補者の姿①

衆議院議員の議席を失い、政治の世界から一歩離れて、無所属の立場で社会を見ていると今まで見えなかったことが見えてきます。政治の世界に入ることが出来る人が限定されているというのもその1つです。

公職選挙法が制定されていることもあり、被選挙権年齢に達すれば、誰でも立候補することは出来る、ということになっています。確かにその通りですが、誰でもが当選することにはならないし、その前後の生活や将来に対するライフプランが描けない現実があります。法律で担保されているのだから、誰でもが議員になれ、誰でもが投票することができ、議会制民主主義が担保されている民主主義国家である、と言い切る人もいますが、本当にそうでしょうか?

気合と根性で出来ないことはない、365日24時間体制で社会に貢献するのが当たり前、国家国民の為に家族の犠牲は致し方ない、議員を辞めた後は生活保護を覚悟すればよい。「地盤・看板・鞄」が無いなら、覚悟して政治の世界に入れば良い。これは、正に20歳から53歳まで、33年間にわたって政治の世界にいた僕が、議員志望の人たちに語ってきたことなのです。特別な事情が無い、普通の人が政治の世界に入ることは大切なことです。

でも、僕がこれまで語ってきたような覚悟を持ち、行動出来ている人が、普通の有権者の代表なのかと問われれば、普通ではありません。特に結婚して、子供がいて、親や祖父母と同居をしているいる女性にとってはとてつもなく高いハードルになっています。子供も複数いて、親や祖父母と同居の大家族、自民党等の保守の政党が理想とする家族像。そんな家族の中から女性が議員になることが本当に出来るのでしょうか?

子育ても、夫のサポートも、親や祖父母の介護も女性が担うケースが多く、それでも議員になって社会課題を解決し、少しでも社会を良くしたいと思ってはいけないのでしょうか?それは、贅沢な事なのでしょうか、欲張りな事なのでしょうか。夫は立候補出来ても、嫁は無理な事なのでしょうか?

今の僕は疑問に感じているし、性別がどうあれ、人は人生に対して欲張るべきだし、特に社会貢献をしたいという欲張りは真っ当な社会的欲求だと思っています。政治の道に進む人の生活環境、通常の政治・後援会活動、議員活動、選挙運動の在り方を根本から見直す時期がきていると思います。

生産性の高い経済、効率的な行政、公平な社会。直接民主制すら可能とするデジタル社会において、新たな価値を提供すべき政治が今必要なのは、いろいろな人が議員に立候補でき、当選できる環境整備、そして政党の意識改革です。

4月に行われた統一地方選挙、20歳から政治の世界にいたが故に、何らかの形で常に統一選に関わってきました。今回は初めて主体的に関わる予定がなかったのですが…。

「統一地方選挙にチャレンジしたある女性候補者の姿②」に続く。


編集部より:この記事は多摩大学ルール形成戦略研究所客員教授、福田峰之氏(元内閣府副大臣、前衆議院議員)のブログ 2019年5月13日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。