ドイツのカトリック教会で「マリア2・0」運動と呼ばれる女性グループが男性主導の教会組織から脱皮し、女性たちにも聖職の道を要求して1週間(5月11日から18日)の「教会ストライキ」を始めた。バチカン・ニュースが12日報じた。
バチカンからの情報によると、ドイツ国内の100カ所余りの教会で11日、ストライキが始まったが、契機は独ミュンスター教会の5人の信徒たちのイニシャチブによるもの。独カトリック教会の2大女性組織、「独カトリック教徒女性連盟」(Kfd)と「独カトリック教徒女性同盟」(KDFB)は「マリア・2・0」運動のストライキ週間を支援している。
具体的には、今月18日まで女性は教会に入らず、名誉職的な聖職に従事しないという。12日には多くの教会前で女性たちが独自の礼拝を行い、①聖職者の未成年者への性的虐待問題に直面する教会の刷新、②教会の権力構造の改革、③聖職者の独身制撤廃、などを要求したステートメントを読んだ。
ストの主催者側は教会ストライキに何人の女性信徒、グループが参加したかは公表していない。草の根運動であり、数百人と推定される。明らかになっている教会だけでも、ハンブルク、ベルリン、フライブルクなどの教区でストライキが行われた。
KDFB元会長で「独カトリック教徒中央委員会」(Zdk)の現副会長クラウディア・リュキング・ミヘル氏(Claudia Lucking-Michel)は第2ドイツテレビ(ZDF)とのインタビューの中で、「われわれの忍耐はもう終わりに近い。われわれにはもはや十分な時間がない。友達や子供たちが女性を排斥する組織にどうして所属しているのかと聞くだろう」という。
独教会司教会議の マティアス・コップ広報担当は、「司教たちは女性たちの不満に理解を持っている」と強調し、「バチカンでも独教会の女性運動を深刻に受け取っている。改革は一歩一歩進めていくべきだ。対話は必要だが、ストライキは正しい手段ではない」と述べている。
一方、保守派団体や独カトリック教徒の インターネットポータルサイトでは「マリア2・0」運動の女性たちの要求を厳しく批判。女性の聖職者叙階は故ヨハネ・パウロ2世(在位1978〜2005年)の1994年の使徒的書簡「Ordinatio sacerdotalis」に反すると主張している。同書簡では「教会は女性を神父に叙階する権能を持っていない。これは主イエスの決定であって……」と明記されている。
教会指導者の中でも女性聖職については意見が分かれている。フライブルク教区のシュテファン・ブルガー大司教は、「ヨハネ・パウロ2世の書簡内容を遵守すべきかどうか問題だ」と語り、多くの女性信者が教会の指導的な位置を占めることを支持している。
カトリック教会では女性への軽視が続いてきたことは事実だ。「教会の女性像」の確立に中心的役割を役割を果たした人物は古代キリスト教神学者アウレリウス・アウグスティヌス(354〜430年)だ。彼は「女が男の為に子供を産まないとすれば、女はどのような価値があるか」と呟いている。そこには明確に男尊女卑の思想が流れている。
女性蔑視の思想は中世時代に入ると、「神学大全」の著者のトーマス・フォン・アクィナス(1225〜1274年)に一層明確になる。アクィナスは、「女の創造は自然界の失策だ」と言い切っている。現代のフェミニストが聞けば、真っ青になるような暴言だろう。この時代になると、カトリック教会の女性像には女性蔑視が定着する。魔女狩りもその表れだろう。女に悪魔が憑いたということで、多くの女性が殺されていった(「なぜ、教会は女性を軽視するか」2013年3月4日参考)。
キリスト教会の女性蔑視思想の背景には、人類の原罪が堕落天使ルシファーに誘惑されたエバからアダムに伝達された、という「失楽園の話」があるからだろう。換言すれば、エバが初めに罪を犯し、アダムがそれを継承した。「失楽園の話」を信じるキリスト教会は「罪は女性から発生した」と主張してきたわけだ。
「女性の権利」回復運動で歴史的成果は、「聖母マリア無原罪説」が教会の教義(ドグマ)となったことだろう。第255代法王のピウス9世(在位1846〜1878年)は1854年、「マリアは胎内の時から原罪から解放されていた」と宣言したのだ。女性が原罪から解放され、神に復帰する道が開かれた瞬間だ。ウーマンリブ史上最大の成果といっても言い過ぎではない(「『神は女性だ』は間違っていない」2014年12月28日参考)。
ドイツはマルティン・ルター(1483〜1546年)の宗教改革の発祥地だ。そのドイツで今、カトリック教会の女性たちが女性の聖職者の道などを要求するストライキを始めたわけだ。ドイツの女性信徒たちの運動が他の国の教会に波及するのはもはや時間の問題だろう。
■
「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年5月14日の記事に一部加筆。