小川榮太郞さんの最新作『平成記』出版記念会が昨日行われ、私もパネラーとして参加した。
シンポジウムは斎藤貴男氏、白洲信哉氏、杉田水脈氏、それに私で小川氏のコーディネートで討論した。中道左派だがアンチグローバリズムの斎藤氏、保守派の杉田氏、経済成長否定で文化振興と地方分権を主張される白洲氏と多彩。
小川氏がFBで以下のように書いておられるので引用しておく。
「考え方の異なる皆様に自由に発言をいただき、会場でも大変好評でした。アメリカ従属、対中関係、人口減少などでも、同じ立場のみの会合にはない対話が繰り広げられたと思います。率直なご意見をそれぞれ披歴していただいた皆様に心から感謝申し上げます。
新聞メディアや論壇自体が極端に蛸壺化し、論壇の自殺、言論の自殺と言うべき状況になっている中で、私は可能な限り、対話の場を拡大して行きたいと考えています。バトル、罵倒ではなく、相手の言葉に耳を傾け、一致点と相違点を明確にしてゆく営みの方が、真っ当であるだけでなく、言論として面白い。何よりも本当は何で対立しているのかが、今のような罵倒だらけの状況では見えてきません。したがって日本の状況を真に好転させる上で障害にしかならない。相違点をはっきりさせるだけでも大きな意味があるのです。
今回の会は、平和学研究所小滝秀明理事の主催で行われました。小滝さんを始め、会を支えて下さったスタッフの皆様にも心から御礼申し上げます。」
「平成記」では一年ごとに政治経済だけでなく論壇、文化、風俗などについての詳しい回顧がされている。「日本国紀」的な毒舌炸裂の楽しい読み物ではないが、さすがに文章も練れているし、小川氏なりの保守思想が一環しており、論壇、文化、風俗についての記述は、相当な高レベルの平成史として類例を見ない。
小川氏はもちろん保守派ではあるが、保守派にありがちな反知性主義とは対極にあるひとであるから、思想が違う人が読んでも違和感はないと思う。
私が発言したことのいくつかの点を紹介しておくと、まず、平成がひどい時代で、世界の経済大国として頂点を極めていたのが、中国にも抜かれて見る影もなくなったということを申し上げた。
いまこの段になっても、これからは、成長を求めるのでなく、数字に表れない文化のようなものを大事にし、江戸時代のように地方分権でやればいいとかいう発言もあったが、30年間、後退を続けて貧乏になっていっても呑気なものだ。
私はそういう考え方に対しては、「追いつき追い越せの時代は終わった」というのは間違いで、「追いつき追い越せの時代は終わったという時代が終わった」と申し上げている。
江戸時代は世界最先進国だった日本が、二世紀半にわたって、遺産を食い潰して中進国に落ちぶれた時代である。地方分権といっても、幕府は気ままに介入したし、各藩が食料の囲い込みをしたので飢饉になると餓死者が続出した。
それに、江戸時代の地方分権は、移動の自由の原則禁止が前提になっているのだが、どうするのだろうか。
移民の問題については、反対論もあったが、私は特殊出生率を1.7 から1.8くらいまでは持って行くとしてもなお、人口は維持できず、その差は移民で補うしかないし、福祉やIT技術者の不足を補うなどのためにも必要だといった。
少子化対策では、フランスなどで成功した少子化対策は実行すれば必ず成功することばかりであって、やらないから動かないだけだといった。男女共同参画事業などけっこうだが、それが少子化の歯止めになるわけでないのにかわっていると批判した。
経済政策については、小川氏とはだいぶ意見が違うのだが、それは次回に書きたい。