だから日本人の原発議論は進まない:教育課程の観点から

田村 和広

アゴラ研究所の池田信夫所長による論考「【GEPR】原子力を挫折させた三つの錯覚」(2019年05月27日)を拝読した。常々池田氏の論文は、タイムリーであり深い御知恵から考察されているので大変勉強になるが、当該論文も示唆に富む内容だった。

写真AC:編集部

特に今回の論考の中に「リスクを評価するには、1回の事故の被害(ハザード)ではなく、それに確率をかけた期待値を計算するという方法論が、多くの国民には理解できないのだ」という分析があり、これには全く同感である。

しかし、現行の教育課程と入試問題への展開、社会の文化水準を考慮すれば、多くの国民に期待値が理解できない状況もまた必然である。今回は、「期待値」の状況について検証したい。

「期待値」とは何か

池田氏の説明で全てなのだが、念のためおさらいしておく。

期待値の例:

100円を投げ、表が出たら100円、裏が出たら0円を得るとする。表になる確率も裏になる確率も50%のとき、期待値は50円である。

計算は(期待値)=100円×50%+0円×50%=50円となる。
(なお、期待値の単位が金銭の場合とくに「期待金額」と呼ぶ。)

国民はいつ期待値を学ぶのか

現行の教育課程では、「期待値」の考え方は数学Bで学ぶ。つまり高校生で初めて学ぶ思考のツールであり、義務教育の中では学ばない。その背景は、現在の数学指導カリキュラムにおいて体系的に教える都合上「場合の数・確率」を十分履修した上で学ばせたいという文部科学省の配慮であろう。

しかし上記のような簡単な期待値ならば小学6年生の知力で十分理解可能である。私見であるが、中学1年で学ばせることも可能であり、是非指導すべきであろう。

大学入試における「期待値」の扱い

数学Bに組み込まれた「期待値」だが、実は指導現場でも丁重な扱いは受けられない。理由は二つ考えられる。

一つは「期待値」の計算は面白くないからだ。数学には、実用道具とエンターテイメントという異なる性質があるが、期待値計算は実用計算技術の面が強い。簡単に言うと、「期待値」という名前に反して、解いてもわくわくしないのだ。

もう一つの理由は、入試問題のなかで重要な鍵として扱われないからである。例えばセンター試験で出題される場合も選択問題なので知らなくても失点回避も可能である。2次試験では計算力を測る題材としてたまに出題されるが期待値自体には価値が少ない。

将棋において駒としての王将自体はただの木製小片に過ぎないのと同様である。現実のビジネスや軍事の世界では利益や生存がかかった宝となるのだが、試験ではただの数値に過ぎないのでつまらないし扱いも低い。

期待値を普及させるための提言

集団としての国民が保有する知恵の水準は、国家運営の基盤である。為政者も官僚も国民の中から選ばれ、国民の意見に一定程度の配慮をしながら運営せざるを得ないからである。そこで、日本の繁栄のために期待値の思考方法も国民の間に普及して欲しいが、現状の教育システムと社会的な関心度合いでは望みが薄い。そこで、普及に向けた提言をしたい。

提言1:義務教育に組み込め

現状では高校2年生の数学Bに組み込まれている「期待値」履修を、中学1年の段階に早めることはできないだろうか。例題を簡単なものにすれば十分中学生で理解可能と考える。

提言2:偏差値や合格確率ではなく合格期待値を算出せよ

中学でも高校でも大学でも、受験生は「偏差値」で自分の相対的な位置を知らされ、模試では偏差値と「合格確率」に一喜一憂している。これを「合格期待値」の計算に改めて学校・進学塾・予備校などに普及の協力を促しては如何だろうか。

提言3:「期待値」に代わるより適切な名称を

「期待」という言葉には、日常語としては「わくわく」のような楽しそうな意味が含まれる。しかし社会に出たのち数学的に使う場合には期待値とは冷静な判断の材料である。そこで、この思考ツールに対して「期待値」に代わる用語を定義し直せないだろうか。

例えば「予期値」のような感情面の陰陽を附帯していない単語を使いたい。(代替案を挙げない否定はあり得ないので「予期値」を例示したが、より言葉の感度が高い人ならば、より最適なワーディングを思いつくだろう。)

検討すべきデメリット

メリットが多いと考えるので提言しているが、喫緊の課題というわけでもないのでデメリットにも十分考察を加える時間はあるだろう。

以下思いつきに過ぎないが、まず宝くじ・競馬・パチンコなどの事業者が困るだろう。公営私営を問わず、いわゆる「貧者の税金」類は、国民が期待値を知ってしまうと不振に陥るだろう。また娯楽分野が不振になることには目をつぶるとしても、資本主義を支える証券会社などのリテール部門も打撃を受けるかもしれず、これは見逃すことはできない。ここまで影響が出てしまう「期待値」は小さいと思うが念のため計算しておくことが必要だろう。

自分は社会的影響力を全く持たない一個人であるが、智者の関心が極めて高い言論サイトであるアゴラに掲載されれば、教育行政に影響力を持つ御仁の眼にも触れる確率が高いだろうと考え、期待値が最大になることを願って本提言を投稿した。

田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。