いわゆる元徴用工判決への対応を求める日本政府に対する韓国政府の言い分は、日韓請求権協定(以下、協定)と大法院判決(以下、判決)の両方を尊重するというもの。日本から見れば極めて矛盾に満ちたものなのだが、韓国政府には彼らなりの理屈があるようだ。
昨年10月30日の新日鉄住金訴訟大法院判決文を読むと、大法官の中にも多数意見に矛盾を感じる者がいて、結論自体は支持しつつも個別の判断に反対する意見や、明確な理由を述べて結論に反対する者がいる。本稿ではそれらの論旨を検討する。
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判決文は被告の上告理由5点を判断した後、結論を述べている。先ず上告理由判断の概略。(下線・太字は筆者)
・第1点
日本での裁判の判決は日本の植民支配が合法的だったとの前提だが、日本の植民地支配は不法。従って日本判決を承認するのは韓国の善良な風俗やその他の社会秩序に違反する。
・第2点
被告が吸収合併の過程を経て被告に変更されるなどの手続きを経たとしても、原告らは旧日本製鉄に対する本件請求権を被告に対しても行使できる。
・第3点
被告の行為は、日本の不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した反人道的な不法行為に該当し、原告らが精神的苦痛を受けたことは経験則上明白。原告らの損害賠償請求権はそれらに対する慰謝料請求権であり、未支給賃金や補償金を請求しているのではない。
日韓交渉中に韓国が示した8項目中第5項に「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の返済請求」という文言があるが、そこに慰謝料請求権まで含まれると考えることは難しい。
・第4点
関連文書が公開されておらず、原告らが権利を行使できない障害事由があったと見るのは相当。時効を主張して原告らに対する債務の履行を拒絶するのは著しく不当。
・第5点
慰謝料の金額算定は妥当。
次に結論部分の引用。
・・上告をすべて棄却し、上告費用は敗訴者が負担することとし、主文の通り判決する。この判決には上告理由3点に関する判断について、大法官李起宅の個別意見、大法官金昭英、大法官李東遠、大法官盧貞姫の個別意見が各々あり、大法官権純一、大法官趙載淵の反対意見がある他には、関係判事の意見は一致し、大法官金哉衡、大法官金善洙の多数意見に対する補充意見がある。
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意見は上告理由3点についてのみだ。そして被告による上告理由3点の要旨は、「原告らが主張する被告に対する損害賠償請求権は、請求権協定の適用対象に含まれ、その請求権は国家の外交的保護権のみでなく個人請求権まで完全に消滅したものと見なければならない」というもの。
金昭英、李東遠と盧貞姫の個別意見および権純一と大載淵の反対意見は、慰謝料が協定の適用対象に含まれるとする。慰謝料が協定に含まれるとの見解でも、個人請求権が消滅していないとみれば多数意見に同意(訴え可能)になり、消滅しているとみるなら反対(訴え不可能)となる。
そこで個人請求権の存否だが、日本の立場は1991年8月に当時の柳井外務省条約局長が答弁している。(括弧内は筆者補足)
(請求権協定における個人請求権は)日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。従いまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。
国内法上の個人請求権は消滅していないが、国として相手方に外交交渉はしない、つまり両国が国内問題として処理すると理解できる。よって被告の上告理由とは異なるが、消滅していないという意味では大法院の多数意見と同じなので、以下、慰謝料の件に焦点を絞る。
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金昭英、李東遠、盧貞姫が個別意見で協定の対象に含まれるとする理由を以下に要約する。
・第5次会談で韓国は8項目のうち第5項(未収金、補償金およびその他の請求権の弁済請求)の関連要求で、「これは他国の国民を強制的に動員することにより被った被徴用者の精神的肉体的苦痛に対する補償を意味する」と説明した。
・請求権協定の合意議事録(Ⅰ)は、請求権に関する問題には8項目の範囲に属するすべての請求が含まれており如何なる主張もできなくなることを確認したと定めた。
・8項目のうち第5項は被徴用請求権について補償金という用語を使用し、賠償金という用語は使用していない。しかしその補償が「植民支配の合法性を前提とする補償」のみを意味するとは考えがたい。
・民官共同委員会*も2005年8月26日、請求権協定の法的効力について、強制動員被害者の損害賠償請求権は「無償3億ドルに強制動員被害補償問題を解決するための資金などが包括的に勘案された」とした。(*文在寅も関与)
・韓国は請求権協定に強制動員被害者の損害賠償請求権が含まれていていることを前提として、請求権協定締結以来長期にわたり、補償などの後続措置をとってきた。
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権純一と趙載淵は協定の対象に含まれるという立場であり、かつ個人請求権も消滅したとの見解なので反対意見となった。その論拠を以下に要約。
・(憲法第6条第1項に従い)、請求権協定は国内法と同じ効力を有する。従い、請求権協定の意味・内容と適用範囲は大法院によって最終的に定める他はない。
・条約の解釈はウィーン条約を基準とする。第32条(解釈の補充的手段)によれば、第31条(解釈の一般規則)の適用から導かれる意味が曖昧模糊となる場合や不合理または不当な結果をもたらす場合には、条約の準備作業または条約締結時の事情を含む解釈の補充的手段に依存できる。
・(その上で)請求権協定の前文は、「両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し」と述べ、第2条1は「・・完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と規定し、第2条3は「・・すべての請求権であって…如何なる主張もすることができないものとする」と規定した。
・請求権協定の合意議事録(Ⅰ)は、韓国側の対日請求要綱8項目の範囲に属するすべての請求が含まれているので、これに関する如何なる主張もなしえないことが確認されたと規定し、その中には「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の弁済請求」が含まれている。
・上記の各事項によるなら「完全かつ最終的に解決されたことになる」という文言の意味は、両締約国はもちろん、その国民ももはや請求権を行使することができなくなったという意味であると解さなければならない。
・請求権協定が憲法や国際法に違反して無効であると解するのでなければ、その内容の良否を問わずその文言と内容に従って遵守しなければならない。協定により個人請求権をもはや行使できなくなることによって被害を受けた国民に、今からでも国家は正当な補償を行うべき。
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反対意見は協定前文と2条の解釈に援用する件でウィーン条約法条約31条・32条に触れている。27条の「当事国は、条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用することができない」には触れていないが、大法院が「協定は国内法に優先する」と却下すれば済んだはずだった。
やはりキーワードは2月12日に書いた「8項目第5項」の「補償金およびその他の請求権」のようだ。そしてこの「その他の請求権」に慰謝料が含まれると明解に述べる大法官が13名中に5名いる。
文大統領も法律家、もしこの先ICJに行けば負けると判っているに違いない。ここはやはり、やろうと思えば何でもできる大統領特権を使うしかないのではなかろうか。
高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。