MMT(現代貨幣理論)が日本では一世を風靡している。その前は金融緩和でなんでも解決するといわんばかりのリフレ派が全盛だったが、こんどは、財政出動がインフレにならない限りは無限にやればいいといいといった威勢のいい議論が流行というわけだ。
私はマクロ経済政策としてどれが正しいとかいう以前に、マクロ経済政策主体で経済の問題を解決しようというのが間違いだという主張を、通産省に入省した1975年ごろから言い続けている。
家計に例えれば、競争力があり効率が良い産業社会を実現することは、サラリーマンや中小企業経営者にとっての本業での収入を増やすことに当たる。それに対して金融財政を通じてのマクロ経済対策は、財テクみたいなものだ。
普通、豊かな生活をしたければ、まずは、本業を頑張ることに努力を集中するべきものだ。財テクばかり考えてうまい話を追っかけているような輩はろくでもない。また、それで成功する人は一握りだ。
企業で言えば、財務部の仕事も大事だが、やはり企業の力の根源は、企画・製造・営業などの部門のパフォーマンスなのであろう。財務はしっかり常識的にやるべきことをしておればいいのであって、突飛なことしたらいいことないという方が多いくらいだ。
ところが、日本の国は少なくとも私が通産省に入った1975年ごろからずっとまじめな産業の競争力強化や効率的なインフラ整備とかに全力を挙げることを通じて、経済を成長させようという努力をしっかりやってこなかった。
高度経済成長期と違って量的な拡大はどうでもいいとかいって経済成長につながるような地道な努力はほとんどやらなかった。私が1980年にフランス留学したころも、日本の通産省を真似て産業強化策をしたいといわれてさんざん教えたが、日本では経済競争力は十分強いからといって思い切った産業政策はタブーになっていた。
公共事業でも、景気刺激というマクロ政策的配慮から量的な拡大ばかりを主張され、できあがったインフラが役に立つかどうかをほとんど問わなかった。私は社会資本というが、かけたコストに見合うベネフィットがなければ社会負債だと論陣を張ったがほとんど支持はなかった。そんなわけだから、日本のハード・ソフトの社会インフラは誠に無駄なものが多い。
インフラ整備は、マクロ経済の需要創造として役に立つかより、そのインフラがコストに見合うベネフィットをもたらすかどうかが最優先の配慮であるべきで、投資効率が良ければ基本的にはいくらやってもいいし、逆ならひとつもやる必要ないのである。
私はもともとアベノミクスにソフトだが懐疑派である。第一の矢や第二の矢を大胆に放つなら、それに見合った迫力のある第三の矢を展開しないと将来、やらいことになると言う意見を最初からいってきた。
そして第三の矢はお粗末なのだが、世界的な好景気だったので、いまのところ、大胆すぎると心配した第一の矢や第二の矢の弊害は少ないのは幸いだったし、いちおう成功していると思う。しかし、そんなことがいつまでも続くはずもない。
マクロ政策を財テクの世界といったが、財テクの世界でもさまざまな投資理論がある。どんな理論が正しいか、また、その時々の経済情勢に合うかにコンセンサスはない。ただ、いくら賢人が知恵を出しても当たる確率は、そんなに高くない。
私は、マクロ経済政策も財テクもあまり非常識なことはせずに、平均的な対応をして、少しだけ、自分を取り巻く環境に何が適合しているかを加味する程度がいいと思う。リスク回避と手持ち現金の有効利用を分散投資しておけばいいのである。
ここ半世紀を振り返っても、田中角栄の金余り状況のなかでの列島改造とか、中曽根時代のバブル経済の生成とかは、経済の教科書に「してはいけない」と書いてある常識を疑ってあたらしい健康法をやってみたら、やっぱり病気になってしまいました、ということだった。財政赤字の額は金利が上がったときにやっぱり心配だ。
それに対して、中国では鄧小平や朱鎔基が普通のマクロ政策のもとでミクロをしっかりやったら、大成功したのである。
リフレだMMTだとかも、なかなか面白いところはあるが、奇抜なことして大儲け夢見るより、地道な競争力強化策をしっかり取ることで勝負したい。語学教育の強化やIT人材の育成とキャッシュレス社会の実現、マイナンバー制度の強化などを大胆に展開し、地方での集住の推進など社会インフラの効率化に取り組んだら間違いなく競争力はUPするのだ。
ミクロ経済政策の充実の努力は、必ず報われる。いい加減に、本業で努力せずに財テクに没頭するような経済政策論議は止めて欲しい。