圧倒的存在は無視できない
公共交通機関で「その筋」の人間と偶然、座席が隣合わせになったりした場合、機会を見て席を変えたりしてないだろうか。「暴力団員とはいえ何もしなければ大丈夫」「仮に衝突したとしても今の時代、報復はされないはずだ」などと思う人間は圧倒的少数派のはずである。圧倒的存在はただ存在するだけで他人の意識と行動を変える。
これは人間関係に限らない国家間でも同様である。そもそも国家は人間の集まりである。
今、我々日本人が無視できない、嫌でも意識してしまう「圧倒的存在」と言える国家は中国だろう。
中国がもはや超大国であることに異議を唱える者はいないだろう。軍事・経済双方での台頭は著しい。
経済力ではアメリカを追い抜く可能性も指摘されており、その可能性があるからこそトランプ大統領は貿易面で中国への圧力を強化していると指摘される。
米中の貿易戦争の今後の動向はわからないが、米中関係が過度期にあることは間違いない。そしてこの両国の争いに日本が介入する余地はほとんどないように思われる。
今の日本で中国の存在感は極めて大きい。日常においても中国人の存在はもはや当然になっている。都会に行けば「中国人観光客」を見ない日はないし看板・標識と言った公共サインでも中国語表記は普通になっている。
少なくない業界が「中国人抜き」では成立しなくなっているのではないか。
中国共産党が中国人の行動を全て管理出来るとは思えないが、やはり日中関係が悪化した場合、日本経済は小さくない打撃を受けると思われる。
関係を違えれば打撃を受ける相手はやはり意識せざるを得ない。軽視や無視は打撃の回避に繋がらない。
時々、見かける「中国は少子高齢化が進んでおりいずれ停滞する」とか「億単位の貧困層がいて社会不安が著しい」といった類の指摘は一面では事実であるが中国を軽視・無視する理由にならない。
ここで我々日本人が確認しなくてはならないのは中国という圧倒的存在はただ存在するだけで我々日本人の意識と行動を変え、それは日本政府の意思決定にも影響を及ぼすということである。
日本ではマスコミ・知識人の世界にいわゆる「親中派」がいるが、彼(女)らが日本人が中国の超大国化に伴う意識と行動の変化を政治的に利用しないか警戒する必要がある。
日中は共通点より相違点の方が多い
戦後日本は戦争を放棄したわけではないが少なくとも自ら国際秩序を構築することはなかった。例えば地政学的に見て朝鮮半島は中国・ロシアといった大陸国家に対する防波堤であることは間違いないが、戦後日本が主体的に朝鮮半島を自らの影響下に置こうとはしなかった。巨額の経済援助こそしたが基本的にはアメリカを介して韓国が大陸国家の影響下に入らないようにしたに過ぎない。
もちろん、これは朝鮮半島が大日本帝国の一部だった歴史を考えれば当然と言えよう。戦後は70年以上経つが特段、日本が主体的に国際秩序を構築すべきだという声は基本的に聞かないし、これからも聞こえるとは思えない。
日本が自ら国際秩序を構築する意思がないならばせめて既存の国際秩序を「守る」程度のことはすべきだし、また、それは可能である。安倍政権下で実現した集団的自衛権の限定行使の容認はその代表例である。仮に集団的自衛権の行使が全面解禁されたとしても日米同盟が存続する限り「守る」の域を超えないだろう。
しかし何かを「守る」にあたって必要なのは「防衛ライン」を設定することである。
防衛ラインが未設定だったり曖昧だと相手側に誘導され「守る」を超えた行動を強制される恐れがある。
もっとも防衛ラインを設定する前に日中関係を再定義する必要がある。超大国化した中国はただ存在するだけで日本人の意識と行動を変えるほどの「力」がある。日中関係は「友好」が望ましいと言われるが戦後日本の実績を見る限り「友好」は単なる「迎合」に過ぎなかった。だから「友好」という言葉はもう使うべきではない。
では「友好」に代わる語は何か。それは「共存」である。「共存」と「友好」は何が違うのかと言われそうだが「共存」とは互いの相違が前提の言葉である。友好も相違を否定していないが共存よりもその意味は弱い。
日本人の言語感覚からすると「友好」は相手との共通点が意識されるが「共存」は相手との相違点が意識される。
今、日中関係に必要な言葉は「日中友好」ではなく「日中共存」である。
日本と中国は共通点より相違点の方が多く政治的文化的に異なる国と強く自覚したうえで防衛ラインを設定すべきである。
そして設定すべき防衛ラインとは国際的な「自由主義陣営」である。
現在、香港ではいわゆる「逃亡犯条例」に反対する市民の大規模デモが国際的な注目を集めている。日本が香港の市民デモを強く支持することは当然である。香港の自由がなくなれば中国共産党が勢いづくのは確実であり、台湾、そして日本の自由にも悪影響が出るだろう。
中国は超大国だからアジアのどこの国も「親中派」はいる。彼(女)らがもっともらしく「平和」「友好」「対米従属」を主張して中国への同調を訴えるかもしれない。だから香港の問題は「対岸の火事」ではない。
しかし冒険・博打的行動では中国と対峙は出来ない。対峙しても敗北するだけである。
中国と対峙するためにもまず何を守るか明確に意識する必要があり、そのためにも必要なのは「日中友好」ではなく「日中共存」の意識である。
高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員