党首討論は万機公論の精華、新聞は疑惑ではなく政策を提起せよ

田村 和広

令和元年(2019年)6月19日、今国会初の党首討論が開かれた。今から約150年前の明治元年(1868年)3月、明治天皇は五箇条の御誓文で「一、広く会議を興し万機公論に決すべし」と公布した。「万機公論に決すべし」とは格調高いが戦後の日本語からはやや遠く、現代文では「国家の政治は世論に従って決定せよ」(三省堂大辞林 第三版より)という意味となる。

党首討論とは「万機公論に決す」精神の頂点である。国民側もこれを大切に扱いたいので批判ばかりでなく深化に努めたい。

党首討論翌朝の新聞各紙(編集部撮影)

討議テーマは、前回に比べ格段に意義深かった

前回の党首討論は約1年前の平成30年(2019年)6月27日に行われたが、その場で行われたのは森友・加計問題の疑惑追及であり、政治を前進させるような討論は皆無であった。一方、今回の討論では、年金という重要なテーマに焦点が当てられており、単なる疑惑の追及に比べれば、格段に意義を感じる討論であった。

この大きな進歩はもっと評価されても良い。また、疑惑の追及ばかりで互いに「党首討論の歴史的使命は終わった」とさえ語りあったために、今回までの開催間隔が1年にもなってしまったが、この点でも次回につながる良い再スタートだった。

新聞の論評は批判に終始

しかし、新聞各紙は結局良い点には目を向けず、結局批判的論評が大勢を占めていた。ここに現在のメディアの問題の1つがある。

読売新聞…年金問題を建設的に論じよ(社説)

朝日新聞…年金議論はこれからだ(社説)

産経新聞…不安のみ煽ってどうする(主張)

毎日新聞…参院選前に年金再論議を(社説)

確かに、安倍総理は無難に議論を回避して話がかみ合わなかった。テーマは年金問題にほぼ終始した。野党党首も修辞のみを凝らした持論を展開したり、付箋付き資料を渡すパフォーマンスなど、ただでさえ短い討論時間を一層減らしてしまった。そういう各論において、与野党党首とも反省すべき点はあろうが、とにかく空虚なスキャンダルで論難しただけの前回よりは大きく前進したのだから、今回はその点について妥当な評価をするべきである。(ただし、読売新聞だけは(枝野党首の提案について)「報告書の批判に終始するのではなく、首相に政策論争を仕掛けたことは評価できる。」(社説)と一定の評価をしている。)

今回鮮明になった課題点

討論内容に加えて、党首討論が再び開催されたことで今後議論が継続されそうな点も良かった。しかし同時に、改善が必要な問題点もいくつか鮮明になった。何事も最初から完成しているわけではないので、今後は、各党首討論で明らかになる課題を毎回少しでも改善し続けることで、日本的民主主義を発展させて行くことが重要だ。今回判明した党首討論の課題は、テーマと方法という2点である。

課題1:テーマ

今回は、直前に争点化された「年金2000万円問題」が中心テーマとなった。しかし、年金に頼り切って老後を過ごすつもりの国民は殆どいないと思われ、その点で本当は問題ですらなかった。メディアと野党による、恒例の空騒ぎだったのではないか。

国防や経済など、喫緊の重要テーマは他にもあり、討論の優先順位1位が年金だったとは考えにくい。一体万機公論とは、どのように討論の俎上にのせれば良いのだろうか。

課題2:方法

現在は討論時間が無さすぎる。今回は全体で約45分だったが、それを各党で配分したために、最長でも20分に過ぎずこれでは短すぎる。例えば囲碁将棋では1対1だが何時間もかけて知の戦いを演じる。まして複数の党首で国政を議論するならば、1日かけても長すぎないだろう。

また、現在の方法では、お互いの主張を述べ合って終わりになることは目に見えている。

今後の改善策

上記2つの課題に対して、次のような改善策は採用できないだろうか。

改善策1:将棋のような持ち時間制による討議

改善策2:テーマを事前に確定

特に、テーマについては、すぐにでも改善して欲しいのだが、そこには新聞の力に期待している。

新聞は提言報道で討論テーマを献策せよ

これまでジャーナリストをはじめ多くの識者から、新聞というメディアに期待される役割について重要な指摘がいくつも出ている。その一つとして2017年に出版された『朝日新聞がなくなる日』(ワニブックス、著者:新田哲史氏、宇佐美典也氏)から引用する。

…読売新聞は提言報道というものをやってきました。つまり重要な政策について世論形成するために、紙面の1面を使ってこんなふうにできないかということを提言してきたのです。(中略)おかげで新聞協会でも、どんどん提言報道をしようという流れになったのです。

新聞には、情報収集力、考える力、世論を形成する力が全てある。何より優秀な人材が揃っている。そのような新聞社にしか、有意義な万機公論を醸成する役割は演じられないだろう。

新聞による提言報道にこそ、党首討論を万機公論の精華まで高める力があるだろう。