かかりつけ医の時代は来るのか?

かかりつけ医、英語でホームドクターと称する仕組みを取り入れる動きが出てきたと日経が報じています。厚労省が増大化する医療費負担の軽減対策の一環としてようやく重い腰を上げた、ということでしょう。

acworks/写真AC(編集部)

ただ、日経の記事の一番最後に「日本では医師会がかかりつけ医の登録制に反対している。患者が医療機関を自由に選べる原則が崩れる恐れがあり、診療所の経営を圧迫する懸念も強いためだ。調整は難航する可能性が高い」と付け足しのように書かれているのが妙に気になりました。

日本医師会、16万人の医者を中心とする会員数を誇り、日本の政治にも強い影響力を持つこの団体が利益団体と化す時、「ホームドクター制度、そんなものは絶対に許さんよ、ガハハハハ」と鉄板焼きに赤ワインを傾けながら取り巻きが「御意!」としているシーンは決してテレビの見過ぎではなく、そんなものだろうなぁとたやすく想像できるのであります。

しかし、香港のデモではないですが、日本にもガッツがあって声を上げる若者たちがいるならば無策の医療費増大に歯止めをかけ、働く世代への負担を軽減化させるべきだ、という声を上げないことには医師会の強権力を打破するのは難しいかもしれません。

ホームドクター制度を日本でも導入すべし、ということはこのブログで何年も前から時折述べてきました。日本人の医療に対するこだわりとは「ブランド意識」が伴っていることがあります。「〇〇病院の〇〇先生が素晴らしい」という評判はだいたい入院患者から発せられる評判であります。私からすれば話半分だと思うのですが、このような風評が日本人は大好きで「〇〇先生に診てもらえることになったのよ」という病院の待合室での会話は日常的だと思います。

また医者も「患者様は神様です」的なところがあり、患者様の「私、病気なんですが」という哀願に絶対に否定せず、「うーん、このあたりがちょっと怪しいですねぇ。これは〇〇という難病の可能性が高いですね」といって処方箋を山のように出す、というのも最近のお決まり。とにかく、難病という言葉がやけやたら飛び交っているような気がするのです。本当に難病なのか、事実を知りたいものであります。

医者も人の子、少子化で将来の患者数が減ることを見越し、いかに既得権益を守るかは生活がかかっているともいえるわけでA5のステーキから安い輸入肉になり下がりたくないという気持ちから「ホームドクター、とんでもない!」につながるのでしょう。

ではホームドクター制度のあるカナダでどういう状態にあるか、と申しますと私にはホームドクターはいません。いた方がいいと言われていますが、ホームドクターとして受け入れてくれるところを探すのが億劫。(もちろん、日本人はほぼいません。)では病院にはどうやってかかるのか、といえばウォークインクリニックという何でも医者(歯科と眼科は除く)があり、そこに行くとだいたい何でも見てくれます。もしもクリニックで判断できない場合には上のランクの病院を紹介されます。

例えば私は眼科のクリニックに行った際、異常が発見され、そのあと専門医にずっとかかっていますが、すでに1年以上たち、様々な治療、加療をしてもらっており、一度ルートに乗るとレベルの高い治療をしっかり受けることができます。

問題は専門医にかかるまでの時間が長いこと、クリニックで異常を見落とす可能性があることがあります。ただ、カナダは医療費が無料の国に対し、日本はそれなりに払うわけですからそのあたりの対策はある程度はカバーできるのではないでしょうか?

逆説的かもしれませんが、日本は医療が非常に充実しています。逆に何かあれば病院に駆け込めばよいという甘えがあるのかもしれません。私はカナダに住んでいて「ここで病気になったらアウト」という意識を持っています。だから健康維持にできるだけ努めることが自分を守ることにつながります。

日本にホームドクター制度ができたら日本人も自我の意識を持つようになるかも知れません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年6月27日の記事より転載させていただきました。