1. 本稿の趣旨
前回の寄稿では半導体材料輸出規制の内容について概観したが、これが幸いにして好評を博したようなので、今回は「徴用工問題への対応」に決して止まらない今回の措置の背景事情を説明させていただこうと思う。具体的には、今回の輸出管理の運用の見直しの狙いの整理、韓国の不適切貿易管理の実態、その背後にある中国製造2025をめぐる国際緊張、についてまとめることとする。
2. 制度見直しの狙いについての整理
前回の記事でも述べたように今回の輸出貿易管理体制見直しは、
A 韓国をホワイト国としたままで特定3品目(フッ化水素、EUV用レジスト、フッ化ポリイミド)については即座に包括輸出許可から個別輸出許可に切り替える
B 韓国をホワイト国リストから外す
という二重構成になっている。(なおレジストについては、適用が最先端のEUVプロセス向けのものに限られることからEUVレジストと表記している。)この二つの措置は連動して大きな目的の達成を目指すものではあるが、それぞれの措置が実現する法律効果は当然異なる。経済産業省はパブリックコメントの説明資料において、A、Bの改正目的を一括して
「大韓民国の貿易管理に係る規制(キャッチオール規制)が不十分であることに加え、同国との信頼関係が著しく損なわれた中で、同国の貿易管理制度の適切な運用の確認が困難になったことから実施するものであり、仮に規制改正を実施しない場合、適切な輸出管理体制が維持されない可能性がある。」
と説明しているが、これをあえて切り分けて整理すれば
・大目的は「適切な輸出管理体制の維持」であり、
・前段の「同国との信頼関係が著しく損なわれた」ことに対応する措置がBの「ホワイト国外し」で、
・後段の「同国の貿易管理制度の適切な運用の確認が困難になった」ことに対する短期的な対応がAの特定3品目の個別輸出許可への切り替え
ということになる。つまりは現実の問題として特定3品目(フッ化水素、レジスト、フッ化ポリイミド)についてはすでに適切な貿易管理の確認が困難になっているという問題/事実があり、信頼関係が著しく損なわれた国(=韓国)との間では話し合いでは解決が望めないため、短期的にはこれらについては個別輸出許可に切り替えて管理を強化し、この際信頼できない国である韓国はホワイト国から外す、という構成である。
3. 特定3品目に関する不適切な貿易管理の実態
では特定3品目について不適切な貿易管理が疑われる事案があるかというと、これはすぐに報道ベースで確認できる。
①フッ化水素
まずフッ化水素についてであるが、サムスンは現在中国の西安にフラッシュメモリ工場建設にむけて2兆円規模の投資を進めていることを明らかにしている。ここで当然疑問に思うのが「この工場で使われるフッ化水素はどこから入手するのか」ということだが、韓国に超高純度フッ化水素を作る技術がない以上、日本から輸入されたフッ化水素が韓国から中国に横流しされている可能性が高いと言わざるを得ない。ほぼ100%といってもいいだろう。
他方で日本はホワイト国ではない中国に対していわゆるリスト規制に基づき原則130nm以下の線幅の集積回路の製造技術の輸出を厳しく貿易管理をしている。つまり日本は安全保障上の理由で中国に最先端の半導体プロセス工場ができることを必ずしも歓迎していない。それにも関わらず日本が管理できない形で、韓国が中国に最先端の半導体工場の投資を進め、ましてや日本からのフッ化水素が韓国から中国へ横流しされているという事態は到底受け入れられない。なおこれはサムスンに限った話ではなく、SKハイニックスも江蘇省で新生産工場の建設を進めており、同様の疑問が持たれる。
②EUVレジスト
つづいてEUVレジストに関してだが、こちらはもっと切迫している。
現在中国は「中国製造2025」というビジョンを掲げており、半導体の国産化をめざすことを公言している。これに対してアメリカは激しく反発しており、米商務省は中国政府肝いりのDRAMメーカーであるJHICCを標的に知財訴訟や輸出規制などの施策を続けざまに打っている。つまりアメリカから技術を手に入れる道は絶たれている。では中国はDRAM製造技術をどこから手に入れようとしているかというと当然韓国である。中国の公正取引委員会はDRAM主要三社(サムスン、SKハイニックス、Micron)に対して技術移転を強制すべく圧力をかけている。
この動きに対してアメリカ企業であるMicronはアメリカ政府と歩調を揃えて抗戦しているのが、サムスンやSKハイニックスは前述の通り折衷案として中国へ投資することになった。
前段が長くなったが、半導体の最先端プロセス技術であるEUVリソグラフィーはまずロジック半導体、続いてDRAMに導入されていくと考えられている。他方で日本は中国に対して輸出貿易管理令別表1-7、貨物省令第6条、第19条等に基づいて最先端半導体プロセスに関する貨物の輸出、技術移転は厳しく管理する方針をとっており、韓国、中国のこうした動きは当然受け入れられない。
なおこうした集積回路に関する貿易管理は2018年末から2019年前半にかけて強化されており、これは「中国製造2025シフト」とでも言えるものである。
③フッ化ポリイミド
最後にフッ化ポリイミドについてだが、これは有機ELの製造プロセスにおいて重要な役割を果たす材料である。他方で2018年11月にサムスンディスプレーから中国パネル企業に大規模な先端技術の流出事案があったことが広く報道されている。この流出事案は製造装置メーカーも絡む組織的な事案との疑いもある。そしてこのフッ化ポリイミドについても当然輸出貿易管理令別表1-5等に基づいて中国に厳しく貿易管理されている品目である。
4. まとめ
このように報道ベースでも韓国の貿易管理の不適切な実態は十分に確認できるものである。まとめると
・今回の一連の輸出管理見直しの、背後には半導体国産化を目指す中国の国家戦略である「中国製造2025」がある
・アメリカは中国製造2025に対して強烈に反発しており、同盟国である日本もその動きに同調した制度改正をここ数年進めてきた
・こうした事態を受け中国は韓国からの技術入手、最先端品目の迂回入手の動きを強めてきた。そしてサムスン、SKハイニックスはその動きに逆らいきれず中国に先端工場の投資を決断している
・こうした動きは当然日本の貿易管理政策としても受け入れられないもので、従来であれば準同盟国である韓国とは話し合いで問題を解決するところであったが、すでに話し合いできる信頼関係が失われたと政治的な判断がなされた
・そのため特定3品目については即座に貿易管理の強化を行うとともに、韓国の扱いに関しては実態を反映してホワイト国リストから落とす手続きに入った
というところであろう。
以上、今回の措置の背景事情について概観してきたが、最後に一言だけ私見を述べておくと「フッ化水素が韓国から北朝鮮に流れている」などという仮説が一部でささやかれているが、この点については確認できるソースが全くなく、またミサイル製造などの軍事用途で半導体グレードの超高純度のフッ化水素を必要とする事情もないので(それがなくとも中国は大量にミサイルを製造している)、そのような根拠の乏しい陰謀論を唱えるのは、少なくとも政治家やメディア関係者などの責任ある立場の方々は控えるべきかと思う。
宇佐美 典也 作家、エネルギーコンサルタント、アゴラ研究所フェロー
1981年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業後、経済産業省に入省。2012年9月に退職後は再生可能エネルギー分野や地域活性化分野のコンサルティングを展開する傍ら、執筆活動中。著書に『30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと』(ダイヤモンド社)、』『逃げられない世代 ――日本型「先送り」システムの限界』 (新潮新書)など。
【訂正 20日13時30分】専門家から著者に指摘があり、一部訂正しました。