ちょっとマジで叱る。
大学生に作文をメール提出という課題を出したのだが
誰一人、ただの一人も「田中泰延様
〇〇大学の〇〇です。
講評お願いいたします。」
という当たり前のメールが来ずに
ただ、誰のものかわからない作文だけが送られてくる。世の中ここまで来たか。
全員不合格です。— 山本一郎の生活を支える田中泰延 (@hironobutnk) 2019年7月9日
田中泰延さんの…。
このツイートが話題になっている。大学生のメールの作法がなっていないという件だ。
お怒りになる気持ちは分かる。ただ、「何をいまさら」という気にもなる。そして、大人がするべき仕事は、ここで怒るのではなく、教えることである。
若者に限らず、マナーは常に変化する。所属するコミュニティによっても違う。
たとえば、打ち合わせ中にスマホ、タブレット、PCなどを使うという行為について、いまだに嫌悪感を示す人や組織もあることだろう。気づけば、カラオケのリモコンで殴られてしまうかもしれない。とはいえ、彼らにとっては普通のことだったりする。
私が企業で採用担当をしていた00年代半ばでも、学生からの電話やメールに対していつも「なんだかな」と思っていた。名乗らずに電話してくる人もいれば、題名もなく、いきなり「説明会の予約を変えてほしい」とだけ送ってくる人も。学生の前で講演し「資料が欲しい方はメールをください」と言ったら、空メールを送ってくる人もいた。
しかし、これはマナーが「なっていない」のではなく、「知らない」のである。もっというと、彼らなりのマナーが存在するのである。別に悪気はない。ここで叱ると、彼らは「それが悪いことだったのか」とキョトンとしてしまう。
この手の話をすると「家庭がなっていない」という話になるが、人間は生まれてくる家庭を選べない。「メールも書けないバカ学生がいる大学って…」という話にもなるが、これは逆に小中高ではこれらの作法を教えていないか、徹底していないことが可視化される。「漢字が書けない学生」「計算が苦手な学生」に関しても同様だ。大学や学生が駄目なのではなくて、家庭や小中高がそのような若者を世に出していることが可視化される。
このとき、大人がするべきことは叱ることではなく、気づかせ、教えることである。この積み重ねが大切だ。
田中さんの気持ちはよく分かる。人事担当者として、非常勤講師で学生の前に初めて立ったときのことを思い出した。世の中には育てる連鎖が必要だ。しかも、それは再構築し続けなくてはならない。いまどき、作法や時間、服装の流儀を守っている若者はむしろ暴走族くらいだと認識した上で、素敵な若者を育てる旅に出たい。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2019年7月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。