人類初の月面着陸とローマ法王

米国のアポロ11号が人類初の月面着陸してから今月20日で50年目を迎える。米国だけではなく、全世界で人類の宇宙への扉を開いたアポロ11号の快挙を祝うイベントが行われる。

月面に降りた2番目のムーンウォーカー、アポロ11号のオルドリン宇宙飛行士(NASA提供、1969年7月20日)

世界に13億人以上の信者を抱えるローマ・カトリック教会の総本山バチカンでも1969年7月20日、米国のアポロ11号の人類初の月面着陸は大きな関心を持ってフォローされた。多くのバチカン関係者はテレビの前にくぎ付けとなった。

ローマ法王パウロ6世(任期1963~78年)は当日、ローマ郊外のカステル・ガンドルフォにあるバチカン天文台でアポロ11号の快挙を追っていた。それに先立ち、バチカンは旧約聖書詩編第8章を刻んだ小さな金板を宇宙飛行士に渡し、月面着陸後、それを記念として月に残していくことになっていた。

アポロ11号の宇宙飛行士が月面着陸直後、パウロ6世はラジオで世界に向かってメッセージを流した。

「科学技術は無類の、複雑で勇気ある方法で最高頂点に立ち、これまでファンタジーで夢に過ぎないと思っていたことを成し遂げた。サイエンスフィクションは現実となった。この素晴らしい出来事から人類、世界、文明について、特に人類について考えなければならない。このような偉大なことを成し遂げることができる人間とは誰だろうか。小さく、壊れやすい存在だが、卓越しており、時間と空間を超え、物質世界を支配する人間とは。私たちは一体誰なのだろうか」

そしてパウロ6世は旧約聖書の詩編第8章を引用する。

「私は、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか。人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ、これにみ手のわざを治めさせ、万の物をその足の下におかれました」

パウロ6世は「神が創造された人間は秘密に満ち、月よりも大いなる存在であることを示している。その起源とその使命で人は巨人であり、神のようだ。人の威厳と精神と生命を称えよう」と述べてメッセージを閉じている。

パウロ6世のメッセージを読むと、人類初の月面着陸を目撃した法王の感動と興奮が伝わってくる。その偉業を成した人間のすばらしさをローマ法王は称えているわけだ。

興味深い事実は、バチカンは天文学ファンということだ。バチカンは1891年、ローマ法王レオ13世時代(在位1878~1903年)にローマ郊外のカステル・ガンドルフォにバチカン天文台を開設した。伝統的にイエズス会の天文学者が管理している。バチカンは米国のアリゾナ州にも独自の天文台で観測を行っている。

生命存在の可能性(ハビタブルゾーン)のある惑星ケプラ452bが発見された時、バチカン天文台のホセ・ガブリエル・フネス所長は「ケプラー452bで生命体が存在可能か確認することが急務だ。可能となれば、神学者はそれについて論じなければならないだろう」と指摘し、太陽系外惑星のケプラー452b発見の意義を興奮気味に語っている。

キリスト教の世界観によれば、神は人間を含む万物万象を創造した。そして地球上だけではなく、姉妹惑星にも同じように息子、娘たちを創造していたとすれば、地球中心の神観、生命観、摂理観の修正が余儀なくされる。中世のキリスト教会は天動説が否定された時、大きなショックを受けたが、21世紀のキリスト教会はそれ以上の大きな衝撃を受ける可能性が予想されるわけだ(「惑星『ケプラー452b』とバチカン」2015年7月27日参考)。

ちなみに、フネス所長はバチカン日刊紙オッセルバトーレ・ロマーノとのインタビューで、神の信仰と宇宙人の存在を信じることは矛盾しない。神の創造や救済を疑わず、人間より発達した存在や世界を信じることは全く正当だ」と主張し、注目された(「『神の創造論』と宇宙人の存在」2008年5月16日参考)。

アポロ11号の月面着陸から半世紀が経過する。アメリカン航空宇宙局(NASA)を中心とした世界の宇宙開発者は次の目標を月から火星に向けてきた。同時に、世界の投資家たちが人類の本格的な宇宙旅行の道を開こうと競っている(「人類初の月面着陸50周年を迎えて」2019年7月11日参考)。

パウロ6世のメッセージではないが、アポロ11号の月面着陸は人類の偉大さを物語る一方、月を含む宇宙の無限さ、その精密さなどを人類に教えている。宇宙軍の設置、宇宙戦争といった話が大国間で報じられているが、宇宙は戦いの舞台ではなく、その創造の美を称える比類なき芸術作品だ。人類は宇宙に向かって感謝と謙虚さを忘れずに前進すべきだ。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年7月16日の記事に一部加筆。