2019参院選は急進化する社会への序章か?

高橋 富人

今回の参議院議員選挙の特徴は、「NHKから国民を守る党」や、「安楽死制度を考える会」など、「ワンイシュー政党」が一定の存在感を示していることです。

立花孝志氏YouTubeチャンネル、山本太郎氏Facebookより:編集部

また、経済政策は「悪の大企業への大増税」と「国の借金(新規国債)大幅増」により解決。お隣の韓国の失敗はひとまず脇において、最低賃金時給1500円で貧困脱出!という「怒り」と「安易さ」を原動力に、党首のカリスマ性で鮮やかに突き進む「れいわ新選組」の存在も特筆すべきでしょう。

経済政策に関する手詰まり感が横溢した選挙が「毎度のこと」とするならば、このような「ワンイシュー政党」や「過激思想」の台頭が、今回の参議院議員選挙の特徴といえます。

過去の国政選挙を振り返ったとき、既存政党の離散集合によらない「多彩さ」が、これだけあった選挙は記憶にありません。

ディストピアと政治

日本が凄まじい高齢化社会を迎えることはもはや、誰も異議は唱えません。

言葉としての「超高齢化社会」は、すでに聞きなれて久しいために、私たちは悪い意味で慣れてしまいました。

しかし、「超高齢化社会」は、言葉ではなく、必ず訪れる日本の将来です。目をつむり、例えばあと10年後の社会を思い浮かべてみてください。

2029年、ちょっとしたディストピアですが、単なる妄想とも言い切れない将来像です。

定年の概念はほとんどなくなっていて、70歳以上の低賃金労働者が、闘病を続けながら仕事をする社会。

年金は、支給年齢が引き上げられ、もらえたとしても今よりずっと少額です(この点は、もう間違いなくそうなります)。仕事を続けられないレベルの病にかかったら、「終了」。費用面から、満足な治療も受けられず、狭いアパートの片隅で、ひっそりと人生を終える高齢者があふれかえります。

その時、社会的多数派である高齢者と、彼らを支えることで高い税金を払わされ、低迷した経済にあえぐ少数派の若者たちの怨嗟はどこに向かうでしょうか。

1932年のドイツのように、その状況を打破することができる「と期待できる」、目もくらむようなカリスマ性を持つ過激思想に熱狂しないと、誰が言えるでしょうか。

今回の参議院議員選挙候補者の選挙カーが発する遠い声は、そんな時代の足音のような気がしてなりません。

無関心が急進化を加速させる

私たちは、あまりに政治に無関心です。

市民革命を経ず、外国産のデモクラシーを、敗戦をきっかけに再び手に入れた私たちは、「きっとまた、誰かが何かをもたらしてくれる」という思いの中、「文句は言うけど投票しない」、あるいは「代表なくても課税はOK」という、既得権に染まった政治家に甚だ都合の良い多くの「民草」たちにより構成される日本の国民です。

この、真剣に政治を考えることをしない「無関心」さは、裏を返せば訓練を受けていない「純白」な状態、つまり「簡単に色に染まりやすい」危うさと言い換えることができます。

今回、冒頭の「ワンイシュー政党」などがある程度まとまった票を獲得できるのは、多くの「純白」に近い人たちの支持を集めているからでしょう。

確かに、これまで選挙で欠かすことなく投票してきた人たちも、現状の閉塞感や制度的不満から「ワンイシュー政党」などに一票を投じることはあるかもしれません。私にしたところで、NHKのスクランブル化にも、一定基準の基での安楽死にも「賛成」ではあります。その意味でいえば、それらの政党の候補者に「投票する」のか「しない」のか、検討する権利を存分に行使したいと思います。つまり、私たちが代表を選ぶ選挙に参加するのは、数多のイデオロギーや政策を「検討する訓練」という、大事な側面があるのです。

前回の参議院議員選挙の投票率は54.7%。その意味では、4割以上の国民は、そのような訓練を経ていない「悪い意味で純白」な危うさを抱えているのです。

ディストピア的社会の到来が、無関心だった国民の暴発的な怒りを誘発し、政治の急進化が加速していく将来の日本。

2029年、57歳になった私が、「なんと荒唐無稽で馬鹿な文章を書いたものだ」と、苦笑いできる日本であってほしいと願いつつ、期日前投票に行ってきます。

高橋 富人
佐倉市議会議員。佐倉市生まれ、佐倉市育ち。國學院大學法学部卒。リクルート「じゃらん事業部」にて広告業務に携わり、後に経済産業省の外郭団体である独立行政法人情報処理推進機構(IPA)で広報を担当。2018年9月末、退職。
出版を主業種とする任意団体「欅通信舎」代表。著書に「地方議会議員の選び方」などがある。