吉本騒動の一側面:「正しさ」の毒に汚染される、我々のほどよい生態系

秋月 涼佑

「水清ければ魚棲まず」という言葉がある。中国の古典が由来の言葉のようだが、英語にも同様の表現(Too much of a good thing.)があることを考えれば、「潔癖に過ぎる環境は、人が快適に楽しく生きるのに適さない」という人類普遍の真理と言えるかもしれない。

いやいや、人間様だけでなく文字通りのお魚様とて、適度に水草や岩場などのニッチ・隙間があって多少プランクトンや藻のにごりがあるくらいが住みやすいに違いない。そう考えると人類を超えて広く生物由来の真理とさえ言えるかもしれない。

kas./写真AC(編集部)

人間の「しょうもなさ」を「笑い」で救いに展開してくれる天才たち

そもそも人間の本性を考えれば、人知れない努力や世のため人のため家族のための苦労をいとわない美徳の一方で、ちょっとしたいたずら心や出来心もデフォルトでインストールされているようだ。いくら聖人君子を気取ってみたところで、日々ニュースになる裁判官や高級官僚、教員などが繰り広げるハレンチ行為や各種犯罪が、そんな人間の哀しい性を雄弁に思い知らしてもくれる。そんな人間の性分による悲喜劇を古今、文学や演劇が描き出すことで、解決にはならないまでも我々は多少の諫めや救いを求めてきたのではないか。

なんといっても、そんな完璧ではない人間の「しょうもなさ」を一番端的にすくい取り、「笑い」の救済に変えてきたのが他ならぬ落語であり、漫才の大衆演芸の世界ではなかったか。

落語では「飲んだくれが大金を見つけて、しめしめしこたま飲んで目が覚めるとお金がなくなっている-芝浜」、「そば屋でなんでもかんでもほめまくり、その勢いで釣り銭をちょろまかす-時そば」。そんな庶民のせせこましく、可笑しくも哀しくもある日常をなんとも暖かい視線で描き出す落語のカタルシスが嫌いな人はそうはいないだろう。

漫才にしても、「ボケ」が偉そう賢そうなことを言ったところで、すかさず「ツッコミ」がアホか、といなしてくれる。よこしまなことを言えば、バカ野郎と突っ込んでくれる。

「有名人が弱った時、叩くと気持ちいいってこと。叩け~!って」

そんな世界で起きたからこそ、今回の闇営業問題から始まった吉本騒動だけに衝撃は一段と大きかった。もちろん、暴力団や半グレが大きな顔をして堅気(カタギ)がしわ寄せを食う世の中など誰も望んでいない。反社会的勢力に厳しく当たるべきことに世の中誰も異論ないわけだが、今回の騒動では結局、堅気(カタギ)ばかりが追い込まれただけで、肝心の犯罪集団がこの件で非難される声をほとんど聞かない。

Wikipediaより:編集部

結局ホリエモンが「有名人が弱った時、叩くと気持ちいいってこと。叩け~!って」と指摘するように(スポーツ報知)、身も蓋もなく言えば「悪い」認定された有名人や立場のある人を、ネット時代の哀しさで寄ってたかってネット空間から攻撃して留飲を下げるという、言ってみれば小学生が「わ~るいんだ、わ~るいんだ」と囃し立てているレベルの状況のような気がする。

おちおち飲み屋にも行けなくて良いの?

もちろん「正義」の側にたって闇営業芸人や吉本興業の落ち度を責める論陣を張ることは容易極まりない。なぜなら、コンプライアンスの視点で見れば彼らに対するツッコミどころは満載過ぎる。

しかしここで考えたいのが、本当にこのムーブメントで我々の住む世の中はより住みやすくなるのだろうか?ということである。「正しさ」の概念は、「正しき」ゆえに思考停止を招く。中世の魔女狩りも圧倒的な「正義」の概念の中で行われたのだ。

例えば今回の反社会的勢力の接触に関しても、我々にとってもまったく他人ごとではない。

秋月過去記事【“闇営業”問題で再認識。他人ごとではない「暴排条項」

まして今回あの写真がここまでの破壊力を見せつけたあとだ、意図をもって堅気(カタギ)を嵌めようという人間にはこれほど美味しいビジネスチャンスはないのではないか。歌舞伎町や新橋あたりの飲み屋で真面目そうなサラリーマンを見つけて、名刺交換をして、スマホでパチリとやるだけで結構な恐喝のネタになるはずだ。

逆に言えば、今後われわれはオチオチ外で飲んでいられるのだろうか。カウンターで隣から声をかけてきたお兄さんは何者なのだろうか?異業種交流会に参加するリスクは?そもそもこの店の経営に反社の関与はないのか?それでなくても、万一にでもセクハラ、パワハラのリスクを減らそうと思えば、懇親会ひとつの開催もためらってしまう今日この頃、これほど気重な話もそうはない。

「正しさ」が招く思考停止

私は、日本の企業社会にグローバルスタンダードの美名のもと導入されたコンプライアンス概念が、その「正しさ」ゆえ日本の職場を萎縮させたと肌感覚で感じてきた。

秋月過去記事【平成総括:コンプラ至上主義が日本企業の活力を奪った

そもそも例えば移民の国であり広大な国土のアメリカと日本では、社会の有り様がまったく違う。バックグラウンドだけでなく下手をすれば言語まで違う人々が同じ職場で働き、州をまたいでしまえば追っかけていくことも容易でない国と、日本では必要とされる法規範に違いがあって当たり前だ。にもかかわらず、日本企業はこぞってコンプライアンスの強化に走った。

問題はそれが、世の中をよりよくすることに役立てばよかったわけだが、実際には、より世の中が「正しく」なったとは思えない。むしろ日産事変のように、コンプライアンスの美名が思考停止や、不正の温床になったり、そもそも善良な日本のサラリーマンを膨大かつ煩雑なコンプライアンスが要求する形式的業務で疲弊させたり、萎縮させたりしているように思えてならないのだ。

無名芸人が棲むニッチさえ奪われる切なさ

宮迫氏、岡本社長、田村亮氏(NHKニュースより:編集部)

今回の吉本騒動でも結局は意図をもってもしくは金銭的な利得のために、宮迫氏らを嵌めてきた人々がとがめられることはなく、してやったりと高笑いだろう。今回、何一つ「正義」など実現していない。一方で、吉本興業は今回の騒動でさらにコンプライアンスの強化が図られるだろう。結果、弁護士は増えるだろうけれど、所属する芸人数は大幅に減らさざるをえないはずだ。

先日ラジオで吉本の大御所、坂田利夫師匠がかつての吉本興業の所属芸人たちのとんでもなさを話していたというか、話せない事情を語っていた。あの坂田師匠をしても放送で触れることをためらう人々のオンパレードだったとのこと。

そんな、我々の生態系に存在した希少な水草生い茂る岩場のニッチ・隙間が今回の騒動で確実にひとつ減ることだろう。強烈な「正しさ」という消毒剤の毒は、弱い人や所詮はもともと生真面目な堅気(カタギ)が生きやすいようには効いていかないように感じる。

水槽はきれいになったのだろうか、見る人によってはきっとちょっと透明度があがったように感じるのかもしれない。だがどことなく殺風景になり、魚たちに元気がなくなったように見えないだろうか?しかも悪さをする悪い魚だけは結局元気なようだ。

水槽の中の一匹の筆者としての感想は、もともと居心地が悪くなかった水槽に効果も不明な消毒剤をバラまかれ、随分息苦しくなったと感じる上にまったく水がきれいになったようには感じられないでいる。

秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。ライフスタイルからマーケティング、ビジネス、政治経済まで硬軟幅の広い執筆活動にも注力中。秋月涼佑のオリジナルサイトで、衝撃の書「ホモデウスを読む」企画、集中連載中。
秋月涼佑の「たんさんタワー」
Twitter@ryosukeakizuki