韓国の抗日は行くところまで行く?「痛みなき被害者思考」の憎悪

高山 貴男

「対話の結果」としての日韓関係悪化 

光復節で演説する文大統領(大統領府Facebookより:編集部)

日韓関係の悪化が止まらない。その影響か日韓両政府関係者の相手国への姿勢は奇妙なものが多い。その最たるものが文在寅大統領の「対話の呼びかけ」という姿勢だろう。「対話」ではなくその「呼びかけ」である。

参照:ハフポスト「日本に対話呼びかけ? 韓国「光復節」でムン・ジェイン大統領が語ったこと(詳報)

日韓関係悪化の口火を切った徴用工問題について日本政府は、日韓基本条約を根拠にその補償を拒否し同条約に基づく協議や仲裁を韓国政府に求めているが韓国政府は大法院判決であることを根拠に、要するに三権分立を根拠にこれを拒否している。

ここで一応、日韓両国の「対話」が成立したが、その結果は両国の溝を埋めるものではなく認識の相違を確認しただけであった。

ここで留意しなくてはならないのは「対話」とはあくまで問題解決の手段の一つであり、目的ではない。日韓両国が「対話」して問題が解決しなくても「対話」の不成立を意味しない。

「対話」が期待した結果を生まなかったならば「非対話」手段に移るだけである。日本の場合「非対話」手段というと戦争を想起する者が多いが、事はそう単純ではない。

戦争に至らない「非対話」手段もあり、よく知られているのは経済制裁だろう。現在、韓国への輸出管理の運用の見直しが行われているが、仮にこれを経済制裁と評価するならば、それは対話の結果に過ぎない。決して対話の拒否が招いているのではない。

日韓両国の「対話の結果」が関係悪化を招いているわけだが、どういうわけか文大統領は対話の拒否が招いていると理解している。だから彼は「対話の呼びかけ」を行っているわけだが、そもそも「対話の呼びかけ」というのはわかりにくい。

例えば「〇〇について自分はこう思う。君の回答はなんだ」と問うて「よし○○については話し合おう」とか「対話と協力の道に出たら喜んで手を取り合うだろう」と回答された場合、困惑するのが普通ではないか。文大統領が示す「対話の呼びかけ」とはこういうことである。

だから「対話の呼びかけ」とは実のところ「対話」する意思がないとも言えるし確実に言えるのは相手を対等な存在とみなしていないということである。 

「痛みなき被害者」としての現代韓国

文大統領、もっと言えば韓国左派の理解では日韓は対等ではない。その理由はひとえに日韓併合の被害者は韓国であり加害者は日本という理解に因る

「被害者>加害者」の構図は韓国左派はもちろん、もしかしたら平均的韓国人はこの構図の認識かもしれない。

韓国で激化する「NO安倍」の反日集会(KBSニュースより:編集部)

確かに被害者と加害者は対等ではない。しかし常識的に考えればそれは加害者が優位に立つことであり被害者は加害者の優位には立てない。被害者にそんな「力」はない。

被害者にそんな「力」があればそもそも被害者にはならない。被害者が加害者を攻撃すること自体、例外中の例外であり、本来はないと思うべきである。

現在の韓国で日韓併合時代を知る者は極小派である。併合時代の韓国を被害者として評価した場合、それは体験を伴う被害者である。簡単に言えば「痛み」を知っている被害者である。

ところが1945年8月15日以降の被害者は「痛み」を知らない。現在の韓国は「痛みなき被害者」である。「日帝統治下の痛み」など所詮、教科書やテレビ、ネットなどの他人が編集した情報から学んだものに過ぎない。「痛みなき被害者」だから加害者への報復も躊躇しない。それどころか報復が加速する。

「痛み」を知る被害者は加害者への憎悪こそあるが報復には極めて慎重なはずである。「痛み」を知る被害者がまずもって行うことは被害からの回復であり、それだけでも多大な負担であるし、加害者への報復も「痛み」がブレーキをかけてくれる。

しかし「痛みなき被害者」にこれはなく、報復感情が加速的に増していくだけである。現在の韓国の理解不能な対日行動を支えているのはこういう感覚ではないだろうか。

抗日は「行くところまで行く」? 

現在の韓国は「痛みなき被害者」状態だが、これは単なる時間の経過とともに出現したものではない。例えば韓国は朝鮮戦争で中国人義勇軍(事実上、人民解放軍)と闘い多数の被害者を出したが中国に対して「痛みなき被害者」の姿勢は採らない。むしろ非常に友好的である。

韓国の「痛みなき被害者」の姿勢は国を選んで行われているし、日本に対しては顕著である。

よく知られているように大韓民国という国自体が「日本」を強く意識して建国されたものである。大韓民国憲法によると韓国政府の源流は大日本帝国の朝鮮統治に反発した3.1独立運動の際に設置された臨時政府とされている。だから大韓民国とは「抗日」を目的とした国家である。

もっとも3.1独立運動で唱えられていた「抗日」はあくまで外国勢力の不当な支配、干渉に抵抗するものであり、あくまで自主独立の精神である。特定の外国の打倒を目指したものではない。ここは強く意識されて良い。

しかし現在の韓国は日本の支配下にあるわけではない。経済面でも過去には日本が圧倒的な優位に立っていたが、それも「韓国を支配した」と呼べるものではないし韓国はもはや先進国でサムスンを始めとした国際的企業があるほどである。

安全保障面でも日本は日米同盟を通じて間接的に関与しているに過ぎない。韓国人だって「自分達は日本に支配されている」と思う者はほとんどいないだろう。要するに現在の韓国は対日行動は3.1独立運動の「抗日」を超えている。

もはや「痛みなき被害者」は前例にない「抗日」国家となり、それゆえ加害者に「痛み」を与えることに躊躇はない。いや、それどころか加害者だから積極的に「痛み」を与えるべきだと思考が飛躍してしまうのが普通ではないか。

だから韓国の抗日思考はいずれ日本人の存在自体に反発・嫌悪を覚える、要する「行くところとまで行く」可能性も否定できまい。

「行くところまで行く」段階を回避するためにも現状の関係悪化はあくまで「対話の結果」であり、次の段階に来ていることを自覚し「対話」の段階に戻すためにも韓国に毅然とした姿勢で臨むことが求められる。

高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員