去る、8月28日に地域政党自由を守る会の新人メンバーである白川愛目黒区議、高浜なおき文京区議、さんのへあや江東区議とともに、午前中は江東児童相談所、午後は品川児童相談所の視察を実施していました。
9月3日より、目黒区5歳女児虐待死事件の保護責任者遺棄致死罪にかかる被告(母親)の裁判員裁判の初めての公判が始まるという直前のタイミング、さらに鹿児島県出水市で虐待死事件がこの日に明らかになる中での、東京都児童相談所事業と一時保護所の視察は、子どもの人権問題に率先して取り組む私達には、永遠に消えない課題認識が灯る一日となりました。
児相担当者の奇妙な意識のズレ
毎日のように行われている公判では、耳も目も覆いたくなるような事実が明らかになって来ております。
各紙報道されていますが、ハフポスト日本版ニュースエディターShino Tanaka氏の記事が、書き手の情熱とあたたかな人間性が感じられ、見やすく、大変わかりやすくまとまっているので是非皆様もご一読されることをおすすめいたします。
保護者らが犯した罪については司直の手にゆだねるとして、私が目を引いたのは、「助けての一言が言えない」母親はなぜ支援の手を振り払ったのか【目黒5歳児虐待死裁判・母親への質問②】の記事中の、児童相談所担当者と被告である母親とのやりとりでした。
検察官の「なぜSOSの声を、警察や児相、医療機関にあげなかったか」という問いに対して、医師も(夫からの暴力からによる)アザを見ていたはずだし、児相担当へは「苦しくなったら自分の太ももを叩く」と伝えたところ「ああそうなんですか」というような反応であったとのこと。
被告なりに婉曲に助けて欲しいというサインを出していたにもかかわらず受け止めてもらえなかったのではないか?という印象を私は受けましたし、被告も「できる最大限の、助けてとは言えないんだけど、SOSは出したとは思っています。」と述べていたと、記事にはありました。
児童相談所対応に関して私も保護者等からたびたび相談を受けることがありますが、その主訴は担当者の共感に乏しい硬直的対応、二転三転する発言等々共通するものがあり、この奇妙に心のキャッチボールができてないやりとりはどこかで見た目に浮かぶ心象風景でした。
父親の二度にわたる書類送検を見落とした品川児相
東京都児童相談所で「東京都児童相談所一時保護所外部評価結果」が公表されています。この内容も鑑み弁護士ら第三者委員による「意見書【東京都児童相談所一時保護所】」が3月29日内藤淳東京都福祉保健局長に提出されていました。
意見書は、一時保護所のものですが、中身を精査していくと、私達も実際に視察をして心にひっかかる漠然とした問題意識が、見事に指摘されていました。
子ども達に対して「不合理なルールの存在」「子ども同士で『目をあわせないように』『後ろを向くように』と言われ、下を向いていた。」「笑うこともできない」(26P)
「みんなの前で怒鳴られた」「『うるせぇな、黙ってろよ』『ざけんじゃねーよ』と言われるなど言葉遣いが悪い職員がいる」(27P)
「トラブルの対策として、他の子どもについ厭なことを言ってしまう子どもなどに、壁に向かって食事をさせている」(29P)
「職員にゆとりを」「困難な状況の中で、緊張が続く職員の負担は大きく、ゆとりがなくなっているように思われます。」「職員や課長代理にもう少し笑顔になって欲しい」(36P)
これを見れば、100件前後の事案を抱えている虐待対応担当職員も同様にゆとりがなくなっているであろうことが、容易に想像ができます。今回の事件でも一時保護のタイミングを見失うと同時に、被告となってしまった母親の前述したSOSサインを見落としてしまっていたわけです。
さらには、事務レベルの重大な見落としも発生していました。主犯格の父親は、香川県では一時保護の度に傷害事件で二度も書類送検をされていたのです。一体いつ、品川児童相談所、および福祉保健局がこの事実を知ったのか私が文書質問で質しても
「平成30年1月29日、香川県から目黒区に転居してきた一家について、電話で連絡を受付。その内容は、香川県内で過去に2度、児童が一時保護されたなど。都の児童相談所から香川県に対し、関係資料の送付を依頼。 香川県の児童相談所から1月30日にFAXで概要が、1月31日付けで詳細資料の送付があり、この詳細資料の中には、2度の書類送検などの記載有。」
と「記載はあった」にとどまる答弁しか出来ず、視察の際、品川児相所長(事件発生時も同所長)に確認するも不明ということでした。結局、女児が亡くなり事件化するまで、最も注視しなければならなかった、二度の書類送検が、事務レベルで見落とされていたと言わざるを得ない実態が明らかになったわけです。
ゆとりのない児相を補完するのは警察との全件共有
児童相談所職員のゆとりのなさが、一時保護所の子ども達への人権侵害ともとられかねない、不適切な対応、虐待深刻事案の見立ての失敗、単なる事務レベルの見落としにつながるのではないか?と私は、事件直後に唯一都議会で質してきた都議として考えるものです。
人員不足の前にオペレーションミスであること。
いたづらに、このまま人員を増やしても児相機能の強化をしても問題の解消はしないこと。
を指摘し続けてきました。
その解決策を、後藤啓二弁護士、思いを同じくする地方議員、子どもの人権問題に取り組む専門家、児童相談所の内側・実態を熟知する方々と、子どもの命がもう二度と奪われないよう活発な意見交換を常にしています。
私達が考える解決策は、以下の通りです。
・東京都児童相談相談所は、虐待情報を警視庁・警察署と全件情報共有すること。
→現行の「児相が必要とした場合共有」という恣意的判断をすることによる見落とし防止
・親から面会拒否されたときには、直ちに警察に通報し、一緒に家庭訪問し子どもの安否を確認する。
→暴力的な保護者の対応で及び腰になってよ一時保護の先送りを防ぐ。保護者の過去の虐待にかかる犯罪歴の見落としも防ぐ
・児童相談所の弁護士常駐
→常時児相職員が相談できれば、堂々と動け見落としが減る。また、人口規模からすれば明らかに法的措置が少ない※!
※実数(上田文書質問より)
(1)家庭裁判所の審判による施設入所等の件数
平成25年度から平成29年度までそれぞれ、27件、20件、22件、33件、26件
立入調査実施件数は、3件、20件、4件、5件、2件
(2)臨検又は捜索の件数
平成26年度1件
(3)親権停止審判の請求
平成25年度から平成29年度までそれぞれ、1件、5件、3件、1件、4件
親権喪失審判の請求は、平成29年度1件。
(6)管理権喪失審判の請求
平成25年度と平成26年度に1件ずつ
接近禁止命令については、この期間の実績はない。
以上を早急にルール化して実現する必要があると考えています。
小池百合子知事の責任は重大
奇しくも公判が始まった日は、東京都議会第三回定例会初日。知事所信表明は、「スムースビズ」「時差ビズ」「7つのC 7C Tokyo」「Society5.0」「スマート・スクール構想」「NEW CONFIDENCE」「TOKYO Data Higway戦略会議」と、横文字とカタカナだらけで、自分アピールに終始。都民生活を思う「ガバナー」としての人間らしさ、ひたむきさを微塵も感じない冷たいものでした。
所信表明でも、3日後の定例記者会見でも、一切目黒区女児虐待事件には触れず、どころか「虐待」の言葉一つでてこない始末。公判中とはいえ、虐待防止条例制定後の取り組みとして普遍的な都政事業の報告の形をとればいいのに、社会の片隅であえぎ悲しみ苦しむ弱き者にはまったく関心がないのだな…と毎回その点の期待は裏切らないと逆に感心しております。
しかしながら、政府も動かした悲惨な「目黒区五歳女児虐待死事件」は、まぎれもなく小池知事就任後に発生した大事件です。
都民ファースト政策では「チルドレンファースト」、今般の「7C Tokyo」にも「Children」と高らかに掲げてる、東京都の最終責任者がみすみす児相のオペレーションミスと指摘されかねない状況で、女児の命を失ったこと、この10年間で、都・区市町村が関与しながら虐待死させられた子どもは、明らかになっているだけでも26人にも上ってることを鑑みれば、重大な責任があるのです。
所信表明で語られていた国際化教育も最先端教育も大事でしょう、しかし、心身の命が危険にさらされている子ども達の「チルドレンファースト」が最優先ではないでしょうか。
東京、千葉、札幌、鹿児島で、全件情報共有していれば救えるはずの命を救えなかった事件が続いており、それらの事件を教訓に、現在26自治体が全件情報共有をしているというのに、目黒区5歳女児を救えなかった東京都をどうするつもりなのですか。
この痛ましい虐待死事件を教訓に多くの他府県は全件情報共有したのに、肝心の東京は未だ警察との全件共有を先送りにするつもりなのでしょうか?!
虐待防止条例をつくっておしまいではなりません。
外にばかり目を向けてないで今、このとき親の暴力に怯える子どもたちに思いを馳せて欲しい!
小池知事風造語に例えたら「Imagine Tokyo Children」でごさいます!
【お姐総括!】
パラリンピック一年前イベントに出てくれた、チコちゃんは「小池とは仲良し」と言ってました。
自らが「ガバナー」の時に発生した凄惨な虐待死事件の公判が始まり、日本中が胸を痛めているというのに、所信表明にも記者会見にも「虐待」の「ギ」の字も言わない行政の長、最終責任者である知事のその「ヒューマニティ」に「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と温かくも厳しいカツを入れて頂きたい!
東京都議会議員(江戸川区選出) 白百合女子大学を卒業後、ナショナルライフ保険(現ING生命)入社後、以降数社を経て、起業も。2007年統一地方選挙にて江戸川区議会議員初当選(44名中6位)。2期目江戸川区議会史上最高記録、2011年統一地方選挙東京都の候補全員の中で最多得票の1万2千票のトップ当選。2013年東京都議会議員選挙初当選。2014年11月地域政党「自由を守る会」を設立し、代表に就任。2015年3月地域政党サミット(全国地域政党連絡協議会)を設立し、副代表に就任。公式サイト。