「韓国は理想の歴史に合わせて事実をつくる」はヘイトか?

田村 和広

2019年9月10日、日刊ゲンダイに元駐韓大使の武藤正敏氏を非難する論説が掲載された。

「韓国の人は感情が高ぶった時に何をするか分からない」「普通は事実を積み重ねて歴史とするが、韓国では理想的な歴史に合わせて事実をつくっていく」――といった具合で、武藤氏の発言はヘイトそのものだ。

(日刊ゲンダイ「TVが重用する武藤元駐韓大使は元徴用工訴訟の利害当事者」より抜粋、太字は筆者)

本稿では上記論説(太字部分)について、「引用の適切さ」「ヘイトに該当するか」「韓国では理想的な歴史に合わせて事実をつくっていくのか」の3点について検証をしたい。

テレビ出演中の武藤氏(BSフジ「プライムニュース」より引用:編集部)

論点1:「――といった具合で、武藤氏の発言はヘイトそのものだ」は引用が適切か。

この引用の仕方にはやや難がある。この文章が「要約したのか、抽象化したのか、それとも正確に文言を再現してあるのか」が曖昧だからである。もしコメントが「切り取り」されていれば「真逆の角度付け」もあり得る。引用元が明確に確認できればよかった。

論点2:「武藤氏の発言はヘイトそのもの」なのか。

ここでは「ヘイト」の定義と使い方が疑問だ。「ヘイト」という単語は近年使用される頻度が高まった感があるが未だ定義に揺れがあり、拡大解釈して使用している事例も散見される。自分にとって不快な言説を「ヘイトだ」と認定することで、論理的に反論するのではなく「ハラスメント行為として封殺できる」魔法の言葉として使う人さえいる。

法律的には2016年に試行された「ヘイトスピーチ解消法」で定義されており、

本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年法律第68号)

法務省のウェブサイトには「ヘイトスピーチに焦点を当てた啓発活動」というページがあり、そこから、具体的なヘイトスピーチに該当する例を参照すると以下の通りである。

例えば(1)特定の民族や国籍の人々を,合理的な理由なく,一律に排除・排斥することをあおり立てるもの (「○○人は出て行け」,「祖国へ帰れ」など)

(2)特定の民族や国籍に属する人々に対して危害を加えるとするもの(「○○人は殺せ」「○○人は海に投げ込め」など)

(3)特定の国や地域の出身である人を,著しく見下すような内容のもの(特定の国の出身者を,差別的な意味合いで昆虫や動物に例えるものなど)

などは,それを見聞きした方々に,悲しみや恐怖,絶望感などを抱かせるものであり,決してあってはならないものです。”

法務省ウェブサイトより抜粋、太字は筆者)

武藤氏のコメントを吟味するならば、「排除」、「危害」、「見下し」には該当しないだろう。唯一該当する可能性があるのは「それを見聞きした方々に,悲しみや恐怖,絶望感などを抱かせるもの」という包括的な部分である。武藤氏の論評が「認めたくない現実」(:後述)を韓国の人々に突きつけているからである。「当人が残念に感じる特徴をマスメディアで晒される苦痛」には、一定の配慮は必要だ。

なお、日本語化された「ヘイト」は異邦人に対しての言動が対象範囲のようである。憎しみ表現を受け取って悲しみや恐怖を感じる心に国籍は関係ないはずだが日本人に対して異邦人が投げつける言動は、なぜか「ヘイト」に該当しないように読める。

論点3:「普通は事実を積み重ねて歴史とするが、韓国では理想的な歴史に合わせて事実をつくっていく」というのは本当か

これは事実である。これが論点2で触れた「認めたくない事実」である。

まず前半は妥当な論評であるが、実際に起きた歴史的事実でも歴史の編者によって言及されなければ無かったことになる。つまり「事実を過不足なく文章化することは不可能である」点には留意が必要である。

次に、後半の「韓国では理想的な歴史に合わせて事実をつくっていく」という論評は、実際に複数の教科書の記述内容を具体的に調べ、報道を調べた直接体験の範囲から言うと概ね事実だと言える。(調べた結果は下記の過去記事ご参照。他事例も今後報告予定。)

韓国教科書に「日韓基本条約」は無い!狂気の歴史ロンダリング

韓国が「戦勝国」になりすます!歴史ロンダリングの技法

「概ね」とするのは、韓国人の中にも「起きた事実を忠実に記録して行く歴史」を誠実に追及する研究者や一般の人々も存在するからである。しかしその史実が「日本の良さ」を示す場合には韓国社会で表明するのは勇気が必要だ。

なぜならそれを表明すれば「親日」として社会的に断罪されるからである。更に、韓国に独特の文化として「自らの先祖を称賛し業歴や人柄をよりよく書き換えて行く文化:門中史学」という伝統があるらしいのだ。(「門中史学」については後述)

これらを文化的背景として、教科書をはじめとする各種文書には「自分たちの願望に沿った『歴史』が創造されて行く」のである。

もちろん、この論評に適合しない「反例」も数多くあるだろう。そういう観点でいうならば「数学的な厳密さ」はない。社会的な事象が対象の論説なのであくまでも「そのような傾向がある」という受け止め方をすべきである。

歴史が捏造される社会的背景「門中史学」

中央日報日本語版に興味深い論考が載っていたので一部引用させて頂く。

 「子孫が出世すれば先祖を筆で育てる」という昔の言葉がある。このように韓国では先祖の地位が子孫の現在の地位と無関係でない。(略)家門ごとに先祖の業績を称えて崇拝する「門中史学」がある。このような門中の人物は一様に欠陥がなく、歴史的な過ちは政敵の謀略のためとすることも多い。それで小説・映画のような虚構の創作物だけでなく、歴史学者の人物解釈も門中の気分を害すれば問題に巻き込まれやすい。(略) 実際こうした(頻発する先祖関連)訴訟はそれ自体が作家には圧力となり、創作意志を失わせたりもする。私も法曹界を担当した当時、こうした紛争がどれほど執拗かを目撃し、自国の歴史小説は書かないと決心したほどだ。

(「映画『鳴梁』は歴史歪曲だ」(2)ヤン・ソンヒ論説委員、2014年9月10日中央日報/中央日報日本語版より引用)

この論評が果たして韓国社会を正確に表しているのかどうかは今後注意深く検証して行く必要はあるが、注目に値する表現である。

上記論説委員によれば、韓国社会では、歴史という分野においても「事実に忠実かどうか」は基準ではないのである。自分が所属する血縁社会の中では、事実かどうかよりも「ご先祖様の業績や評価を高めること=歴史の塗り替えること」が子孫として優先順位の高い義挙であるが、その文化の枠組みがそのまま韓国と国民の関係性に生きているようなのである。

まとめ

武藤氏が言ったという「韓国では理想的な歴史に合わせて事実をつくっていく」という主張の内容は事実であるが、それが突き付ける残酷な現実は、確かに一部の人々に悲しみをもたらす可能性が高い。だからと言って当該言論を排除することは論外だが、元大使ほどの人物が広くテレビで発言するのは、日本人の品格の観点からは妥当だったと言えるのだろうか。

田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。