「死ぬ前に日本の土を踏みたい」北朝鮮に渡った日本人妻たち --- 坂中 英徳

寄稿

日本を出港する北への帰還船(日本政府「写真公報 1960年1月15日号」より)

在日朝鮮人の夫に同伴して北朝鮮に渡った日本人妻の多くは、1959年から1961年にかけて北朝鮮に入国した人たちだ。当時20代から30代だった日本人妻たちの年齢は80代である。

ただし、若くして処刑された人、心労により若死にした人、自殺した人、餓死した人がいるから、いま生きている人は少ない。

亡くなった日本人妻は、「私が死んだら頭を日本海のほうに向けて埋葬してほしい」と言い残したと聞いている。日本へ帰ることがかなわないとわかると、せめて遺体は祖国へ向けて埋葬してほしいと願ったのである。

今では50人ほどになった存命の日本人妻たちは、「日本の土を踏んでから死にたい」「両親の墓前で謝罪してから死にたい」と切実な胸のうちを語っている。

「両親の墓前で謝罪したい」というのは、親に反対されたのに北朝鮮に渡って両親に心配かけたことを謝りたいという意味なのかもしれない。日本人妻たちは「3年で日本に里帰りできる」という朝鮮総連の言葉を信じて北朝鮮に渡った被害者であるのに、なぜ両親に謝罪しなければならないのか。

日本社会が日本人妻の問題に無関心であったがゆえに、日本人妻は自分が帰国運動の被害者であるという認識を持つことさえできないでいる。

60年間、日本に帰りたい一心で命をつないでいる日本人妻たちは日本政府が助けてくれることをいちずに信じている。願いを果たせず死を迎える人たち増えていく。生存者に残された時間はわずかしかない。

「日本国籍」を命の綱として持ち続けている日本人妻たちの「死ぬ前に日本の土を踏みたい」という最後の望みを実現させてあげるのは日本人の責務である。これは緊急を要する邦人保護問題なのだ。

今こそ政治家の出番である。年老いた彼女たちの望郷の念にこたえるのは政治家の責任だ。日本政府は北朝鮮政府に対し一刻も早い日本人妻の帰国を強く迫るべきだ。

坂中 英徳(さかなか ひでのり)元東京入国管理局長、一般社団法人・移民政策研究所所長。
1945年生まれ。1970年、慶応義塾大学大学院法学研究科修士課程終了。同年法務省入省。東京入国管理局長などを歴任し、2005年3月退職。同年8月に外国人政策研究所(現・移民政策研究所)を設立。法務省在職時から現在まで、在日朝鮮人の処遇、人口減少社会の移民政策のあり方など一貫して移民政策の立案と取り組む。近年、50年間で1000万人の移民を受け入れる「日本型移民国家構想」、全人類が平和共存する「人類共同体構想」を提唱している。著書に「新版日本の移民国家ビジョン」(移民政策研究所)など。移民政策研究所サイト