9月12日夜半に報じられた自民党・宮川典子衆議院議員の訃報は私にとっても少なからぬ衝撃でした。政治への初挑戦は2010年、「日教組のドン」こと輿石東議員に挑んだ参議院議員候補でもありました。
当時私は「ヒゲの隊長」佐藤正久議員の後輩、宇都隆史・参議院議員の初陣をインターネット全般で支える立場にありました。彼が松下政経塾の同期だった縁もあり、宮川さんの初陣もまとめて支えることになりました。
奇しくも参議院への初挑戦と落選、そして衆議院初当選までの約2年半、彼女の再起を見守ってきましたが、その歩みは国政や地方を問わず、すべての選挙候補や議会人にとって参考になるものであると改めて思います。当時を振り返りながら、しばし故人を偲びます。
落選後ほどなくして始まった、地道な振り返り
当時の参議院選挙では、前年2009年に初当選を果たした小泉進次郎議員と「自民党最年少コンビの誕生か」と期待を集めるも、あえなくの惜敗。輿石候補との得票差は3,745票の大接戦でした。
僅差ゆえ落選の悔しさもひときわ大きかったわけですが、ほどなくして「もう一度、いや何度でも挑みたい」雪辱を打ち明けられました。
いまの自分には、何が足りなかったのか。振り返りと点検、そのための学び直しが始まりました。どんな選挙風が吹いても、揺らぐことのない根をしっかりと張りたい。そのために彼女がみずから課したのは3つでした。
・決して「くさらない」こと
・所属政党や自身への批判を、だれよりも謙虚に受け止めること
・ゆかりある地を、徹底的に愛すること
選挙に挑んだ経験のある友人や知人が例外なく語るのは、当選に至らなかったことに対する自責の念と、次回に対する不安です。おのずと自己否定にも走りがちになります。
それでもあえて、これは天が与えた試練なんだ。自分が当選できなかったことにも何か意味があるはずだ。いつも自分に言い聞かせていました。
また、参議院選挙での惜敗を評価いただいたことで、政党支部長として活躍の場を与えていただけました。この時の経験は、彼女にとっても大きかったと思います。
なぜ2009年、自民党は長らく続いた政権与党の座から下野することになったのか。国会や公務がない分、地元の批判や苦言を一身に受け止めていました。
間違いなく当時の経験は初挑戦の時には到達しえなかった基礎体力の向上に繋がったと確信しています。本来はすべての国会議員が優先すべき「地域の声への傾聴」に対して、誰よりも熱心でした。
地元の魅力を再発見し、郷土愛を深めることにも余念がありませんでした。たとえば郷土料理のひとつ「ほうとう」なども、「私が食べると、おいしそうでしょう」取材を忘れ、毎回全力の完食でした。肌身はなさぬ地場産業の宝飾品なども、公には報じられることのない、女性候補ならではのさりげないPRでした。
他にも微細なエピソードを挙げればきりがありませんが、いずれにしても「苦しいとき」を無駄にしなかったからこその復活劇であったことは間違いありません。2012年には参議院から衆議院に転じ、悲願の初当選を果たしました。
休息が許されなかった選挙区事情
その後も彼女は当選を重ね、2017年には文部科学政務官にも就任。ライフワークとして掲げていた教育を中心に更なる活躍が期待されました。その一方、宮川さんの選挙区は「一票の格差」による0増5減の対象となり、政務官就任から2か月後の解散総選挙では比例区への転出となりました。
教員出身ながらも日教組と戦い、特定の支持基盤を持たない彼女にとっては心労も並大抵ではなく、最期までみずからの病を伏せていたのもそのような選挙区事情があってのことと察します。
残された方々への期待
享年40歳という若さでの早世は、多くの報道やネット上でも驚きと哀悼の声が寄せられました。中でも自民党の同僚で、かつ参院選の初挑戦同期でもあった三原じゅんこ参議院議員は自身のブログで心情を吐露されています。
同性としても、またがんの経験者としても、宮川さんが志半ばに果たせなかった政策の実現や充実に邁進されることを期待します。とりわけわが国のがん対策における取り組みには、私自身もこれまで以上に期待を寄せたいと思います。
そしてもう一人、期待を寄せたいのが宮川さんの同世代でもあり、環境大臣に就任したばかりの小泉進次郎議員です。アゴラでも厳しいコメントが相次いでいますが、だからこそ小泉大臣には彼女のガッツに学んでほしいと切に願います。
くさらないこと、批判を謙虚に受け止めること。そしてゆかりある地を、徹底的に愛すること。
そうすることで、苦境の中にも活路が見いだせるでしょうし、またそうあって欲しい。
若き大臣の誕生と前後してこの世を去った山梨のアンパンマン・宮川典子さんの最期は、試練に立ち向かう同僚へのエールに思えてなりません。
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高橋 大輔 一般財団法人 尾崎行雄記念財団研究員。
政治の中心地・永田町1丁目1番地1号でわが国の政治の行方を憂いつつ、「憲政の父」と呼ばれる尾崎行雄はじめ憲政史で光り輝く議会人の再評価に明け暮れている。共編著に『人生の本舞台』(世論時報社)、尾崎財団発行『世界と議会』への寄稿多数。尾崎行雄記念財団公式サイト