絶句と驚愕の関電会長らの金品受け取り

中村 仁

原発の置かれた状況を忘却

関西電力の会長ら20人が地元の原発関連企業から、高浜町の元助役を経由して、多額の金品を受け取っていました。この報道に接した時、ぎょっとして、何事かと理解できませんでした。記者会見などで事実関係の一端が明らかになってくると、「絶句、驚愕、にわかに信じがたい」の感想がよぎりました。

「2011年から7年間で3億2千万円」とのことです。2011年といえば、3月に東日本大震災が発生し、東京電力福島原発が壊滅的な打撃を受けた時です。「こともあろうに」です。原発を巡る環境が一変し、全神経を集中して、電力事業に当たらねばならないと、気を引き締める時です。以前から続いていた金品の授受なら、普通の常識をもってすれば、ここで打ち切る時です。

関連企業、下請けや納入業者との関係も見直し、これまで以上の節度、厳しさを持ち、原発の安全性に細心の注意を払っていかなければならない。「7年間」というのは、課税か贈与の時効との関係でしょう。時効を過ぎた部分は調査の対象外にしたのでしょうか。

調査結果を待つとして、2011年からこの慣行が始まったとは、思えません。恐らく相当、以前からの慣行でしょう。現在の八木会長、岩根社長以前の経営トップに対しても、贈与があったか調査しなければなりません。「時効」という法律的な区切りではなく、原発を抱いた電力業界をめぐる慣行を解明することが必要です。公益企業であり、電力料金は許可制、国の補助金・交付金を受けているから当然です。

説明しにくい、筋の悪いカネ

カネの流れを図解すれば、発注した関電がカネを関連業者に払い、その一部が関電幹部に還流していたとの解釈は可能でしょう。消費者が電気料金として支払った、また交付された補助金は消費者が収めた税金の一部でしょうから、筋がよくない、説明に苦しむおカネです。

見返りに便宜を図ったとかは、不正な請託があったとかは、常識では考えられません。犯罪として問われるようなことまではしていない。ただし、関電が高浜一号機を動かしたのは1977年、やり手の仕切り役は、77年から87年まで助役を務め、退職後も強い影響力を振るったそうですから、金品の授受で関係を作っておいて「この企業をよろしく」とかの、口効きはあったのでしょう。

関電だけの調査に終わらせず、他の電力会社についても、実態を解明すべきでしょう。経産相が「言語道断」といっていますから、徹底した態度が求められます。電力のようにすそ野が広い大企業の幹部、担当者は、関連・下請け業者から盆暮れ、昇進時のお祝いを受取っているでしょう。これを機会に、一切の金品の受領を禁止するくらいのことをしないと、収まりがつかないような気がします。

3億円ですまない関電の罪

関電トップの罪が深いと、思うのは間違いなく、原発反対運動に新しい材料を与えたということです。しかも関電会長は電気事業連合会の会長で、原発を維持、復活させる推進、調整の役目を負っています。まず、辞任は不可避です。だからこそ、日ごろから「細心の注意」が必要なのです。原発推進派に与えたショックは小さくないでしょう。波紋がどう広がっていくか、気が気でないでしょう。

公表された3億円が広げた波紋は、謝罪するだけ、返却するだけでおさまることはない。経営者の意識のレベル、電力業界の体質を浮き彫りにしました。東電も「15メートル」という津波の予想をトップが見くびり、破壊的な惨事を招きました。

最後に関電社長の記者会見は、この程度のマスコミ対応しかできないのかと、背筋が寒くなりました。「詳細は差し控える」「返せるものは返してきた」「違法な行為ではない」「記録はあるが明らかにしない」。明らかにできないことが山ほどあるとの印象を与えました。名産物程度ならともかく、現金、商品券の類を受けっていたでしょうから、不用意極まりない。

地元の仕切り役の有力者が返却を拒否していたというなら、社会常識を超える金品は、弁護士事務所とか、第三者の管理のもとで保管し、いつでも返却できるよう、疑われない体制を作って置くべきでした。そうした知恵もなかったとは。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2019年9月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。