法王は訪日で「神」を発見できるか

ローマ法王フランシスコは今月23日、訪日し、東京の他、被爆地の長崎、広島両市を訪問する。ローマ法王の訪日は1981年のヨハネ・パウロ2世の訪問以来、38年ぶりだ。フランシスコ法王が日本好きであることは良く知られているだけに、滞在中に様々なイベントが準備されている。

キリシタン禁制時代の信者迫害に関する資料を収集したマリオ・マレガ神父(国文学研究資料館の公式サイトから)

フランシスコ法王は聖職者になった頃、日本宣教を希望したが、健康問題があって実現できずに終わった。法王は日本のキリスト教迫害時代の信者の信仰に強く関心を有しているという。2014年1月に行われたサンピエトロ広場での一般謁見で中東からの巡礼信徒に対し、厳しい迫害にもかかわらず信仰を守り通した日本のキリシタンを例に挙げて励ました、という話が伝わっているほどだ。

バチカンが公表した訪問日程によると、フランシスコ法王は24日、豊臣秀吉のキリシタン禁止令(1597年2月5日)によって26人のキリシタンたちが殉教したことを追悼する西坂公園の記念碑、記念館を訪ねる。26人の殉教者はその後、聖人に列聖された(「日本26聖人」と呼ばれる)。ピウス12世(在位1939~58年)は西坂公園をカトリック教徒の公式巡礼地に認定している。

法王の来日を控え、16世紀末から19世紀半ばの日本国内のキリスト者の迫害状況を記述した「マレガ文書」(Marega Paper)が強い関心を呼んでいる。バチカン・ニュースも数回に分けて、「マレガ文書」を紹介している。

「マレガ文書」はサレジオ会の日本宣教師だったマリオ・マレガ神父(1902~78年)が日本のキリシタン禁制時代の信者への迫害に関連する文書を集めて1953年にバチカン法王庁に送ったものだ。文書は図書館に保管されたが、長い間、忘れられてきた。その文書が2011年3月に見つかり、2年後、日本の文化研究機関とバチカン図書館が連携して、同文書の整理、デジタル化に乗り出した。関心がある人はだれでも閲覧できるようになった。

バチカン図書館の Cesare Pasini 館長は、「文書は日本でキリスト者がどのように迫害されたかを知る貴重な歴史資料だ。日本の研究機関の連携があったからこそ当時の状況が一層明らかになった」と述べ、バチカン・日本両国の共同成果だと強調している。

キリシタン迫害の状況は遠藤周作の小説「沈黙」を読んでいる日本人読者ならばその概要が分かる。踏み絵を強要され、改宗しなければ処刑されていった。日本のキリシタン迫害はキリスト教圏の欧米諸国のそれに比べても異様であり、徹底していた。それだけに、欧米出身の宣教師もマレガ文書を読んでショックを受けるという。

ところで、激しい迫害を受けたキリスト教はその後、日本社会に定着しただろうか。信者数だけをみるならば、残念ながら「キリスト教の日本宣教は失敗した」といわざるを得ない。新旧教会を合わせても日本の人口の1%にも満たない少数宗派に過ぎないのだ。

その非キリスト教圏の日本をローマ法王が訪問すること自体、世界最初の被爆国だという事実があるとしても、やはり異例のことだ。逆にいえば、世界12億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会の最高指導者、ローマ法王が日本に惹かれる理由があるからだろう。

日本は戦後、世俗社会となり、多くの国民は無宗教だといわれるが、日本は世界でも最も治安のよい国であり、国民は優秀で勤勉と評価されている。それでは日本国民を支える精神的バックボーンは何だろうか。フランシスコ法王はその点に関心があるはずだ。多くの日本人は一神教の神を信じていないが、人間を超えた存在への無条件の畏敬と感謝の思いが深い民族だ。

日本の国民性、精神性は、地震など自然災害に頻繁に襲われてきた歴史を通じて培われてきた。災害に遭遇する度に家族を失い、収穫を失い、家屋を失っていったが、日本人は助け合って立ち上がってきた。自然の美しさや恵みと共に、その脅威を歴史を通じて体験してきたのが日本人だった。だから、相互援助と感謝、自然への畏敬などの国民性が生まれてきたのだろう。

南米出身のフランシスコ法王の訪日は数少ない信者と会合し、司牧するためというより、自然災害や苦難などで鍛えられてきた日本人の国民性に接することにあるはずだ。苦難は人を、そして民族を成長させる。「受難の歴史」を持つキリスト教会の指導者ならばそのことを良く知っているはずだ。だから、法王は「神」を伝えるためではなく、日本人の国民性とその背後で働いてきた「神の業」を発見するために日本を訪れることになる。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年11月5日の記事に一部加筆。