韓国聯合ニュースは6日12時前の日本語版で、「(スティルウェル米国務次官補が)23日に失効する韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)について、韓国政府の再考を促したかどうかは確認されていない。協議があったかとの記者団の問いにスティルウェル氏は答えなかった」と報じた。(太字は筆者)
記事は同次官補が、4日にタイで文大統領と安倍総理が歓談したことに「両国関係を注視している中、明るいサインだ」との見解を示したとも書いた。筆者は記事を読み、米国が大人の対応で「韓国にGSOMIA廃棄を撤回する助け舟を出した」と感じる。筆者は韓国がGSOMIAを継続すると思う。「米国の顔を立てる」をその理由として。
6日朝8時過ぎの中央日報記事「米国は圧力、日本は余裕…GSOMIAで孤立する韓国」は、韓国が置かれた目下の苦境を表して余りある。
韓国は孤立した状況だ。GSOMIA復元条件として日本の輸出規制措置の撤回を掲げたが、日本は全く動かない。日本の変化なしにGSOMIA終了決定を撤回するのは国内政治的な負担が大きい。世論の60.3%がGSOMIA終了決定を支持しているだけに(東アジア研究院の4日のアンケート調査)これを覆すには説得の根拠が必要となる。
この日、青瓦台関係者が「日本側が立場を変えないかぎり現段階では予定通りGSOMIAを終えるという原則に変化はない」と述べ、前日の鄭景斗国防部長官*らの「GSOMIA効用性評価」発言に一線を画したのも、こうした背景と解釈される。(*自衛隊に留学経験のある知日派軍人)
韓国は強制徴用・日本の輸出規制・GSOMIAを「セット」と見るが、米国の雰囲気は違う。「強制徴用と輸出規制問題は韓日が解決する事案であり、関与しない」「GSOMIA終了は米韓日の安全保障の連携を阻害するため韓国が立場を変えるべき」というのが米国の立場だ。
6日午前の米韓会談の中身は不詳だが、韓国が好き勝手に公表しても米国は暫くは黙っていよう。だが、スティルウェル氏が会談で韓国に日韓GSOMIAの廃棄撤回を求めたことは米国当局者のこれまでの発言から疑いようがないし、それに対して韓国が、日本が輸出規制を止めれば廃棄を撤回すると述べたこともまた青瓦台関係者のこれまでの発言から間違いなかろう。
文大統領は、4日にタイで開催された「アセアン+3」で安倍総理を待ち伏せ、二人掛けのソファに誘って11分間の対話を演出し、待ち構えさせたカメラマンに撮らせたツーショットを日本側の承諾も得ずに公開する挙に出た。これはGSOMIA廃棄撤回の口実づくりのための、ありもしない日本の融和姿勢捏造の一環に違いない。
先に安倍総理と会談した李首相の嘘コメントなどの韓国のやり口を見れば、対米国の関係でも米国が黙っているのを良いことに、「在韓米軍の韓国負担で米国が5倍を主張している件で、米国から要求を引き下げる感触を得たから」とかのありもしないデタラメを、念を入れて言い出すことだってあり得る。
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韓国のこうしたやり口は正に「江戸の敵(かたき)を長崎で討つ」と言うに相応しい。周知の通り「意外な所、または筋違いな事で仕返しをする意のことわざ(新明解国語辞典)」だが、英語でも同じような言い回しがあるようで、スティルウェル氏の今の心境もきっと「Korea avenges herself on Japan in unlikely place.」に違いない。
来日中の韓国国会の文喜相議長も早稲田大学での講演で、徴用工用に民間基金を設立し、そこへ解散した慰安婦財団に日本が出した10億円の残りを拠出したらどうか、との戯れ言を述べた。学生から「額を床に擦り付けて上皇様に謝れ」などと罵声を浴びたようだが、これなども筋違いな事甚だしい。
そもそも韓国式の「江戸の敵…」の異様さは、「場所」と「事柄」のみならず「時間の経過」が組み合わさることにある。今も韓国が根に持つ日本との一連の協約、すなわち日本が韓国の財政や外交に関与した第一次は1904年、外交権を接収した第二次は1905年、併合した第三次は1910年の締結で、どれも一世紀以上も過去のことだ。
文大統領が拠り所とする百年前の「3・1独立運動」直後に上海で設立された「臨時政府」にしても、著者の李景珉教授*が「あとがき」に「朝鮮社会がかつて経験したことのない解放直後の広範な民衆の政治参加を、その主役を演じた人々を中心に展開してみた」と書く『朝鮮現代史の岐路』(平凡社)にはこう描かれている。(*在日の朝鮮近現代史研究者)
呂運亨は臨時政府には樹立当初から関わっていてその内容を誰よりも熟知していたので、この時期になって臨時政府を朝鮮民族の新しい政府として受け入れるなど論外であった。その樹立以来二五年間臨時政府は確かに表面的には存在し続けたものの、それは国内の民衆にとっては遠く離れた存在であった。
…実際、臨時政府は朝鮮の国土を一握りたりとも統治したことの全くない虚構の政府に他ならなかった。1930年代の後半以降、蒋介石政府の財政的援助を受けながら南京、重慶と転々としたが、どの外国政府からも朝鮮民族の政府として認められてはいなかった。
呂運享は光復直後に朝鮮建国準備委員会を立ち上げ、独立政府樹立のために活動した左派の民族運動家で、中央日報社長なども務め、1947年に暗殺された人物。その呂運亨を持ち上げる章の記述だから、勢い彼が対立した臨時政府を腐す表現が過ぎたとはいえ、その一面を物語っていよう。
もうじき発売される「反日種族主義」は、「場所」も「事柄」も「時間の経過」も弁えずに相も変わらず「江戸の敵…」式の主張を続ける韓国の筋違い振りを余すところなく暴くことだろう。
そして、百年経った現在のこうした韓国(臨時?)政府の思考回路も、どの外国政府からも認められないに違いない。
高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。