生きたイカとしての金融機関の動態は、数値等の客観的な諸属性に還元されたとき、死んで干からびたスルメの静態になる。かつて徹底的に金融機関をスルメとして扱っていた金融庁は、前長官の森信親氏のもとで革命的な方針転換を断行し、現在では、金融機関を生きたイカとして扱い、生きたイカと対話しようとしている。
しかし、金融庁の人は、旧体制のもとで、イカを殺して切り刻んだり、スルメに干したりすることは得意中の得意だったろうが、新方針のもとで、イカの言語を話せるのか、イカとともに泳ぐことができるのか。
泳ぎの下手な金融庁がイカの金融機関とともに泳げば、泳ぎの能力に勝る金融機関に引っ張られてしまう危険性がある。これは、規制の虜という現象で、日本では、過去の原子力規制において、東京電力を頂点とする事業者の力の優越のもとで機能不全を生じていたことにより、広く知られるようになった。
実は、金融庁がイカとともに泳ぐとしても、泳ぎの相手のイカは金融機関ではなくて、国民なのである。従って、金融庁は、金融機関の言語を話す必要はなく、国民の言語を話すことができればいいのである。
この徹底した国民の視点は、森前長官の行政手法を特徴づけるもので、それは、金融庁職員に国益への貢献を求めたことに象徴的に示され、具体的には、「見える化」という金融行政の手法に示されている。
「見える化」は、金融機関のサービスの質を国民の視点で客観的に評価できるようにして、国民の選択行動により、良いものが伸び、悪いものが淘汰されることで、全体の質の向上を図るものである。つまり、もはや、金融庁は、金融機関をスルメに干すこともなく、単に国民のイカとともに泳ぐのである。ならば、金融機関も国民のイカとともに泳ぐしかない。そして、多くは溺れて沈むのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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