今年9月24日に、こちらのエントリー「東電事故刑事無罪判決-内部統制構築の虚しさを感じました」において、当時のNHK特集をもとに東京電力の組織的な課題について自説を述べました。私自身は未だ同判決は読めておりませんが、朝日新聞の奥山記者が同判決を読み、東電元幹部の方々への新たな取材を通じて連載記事を書いておられます(「見送られた津波対策」朝日新聞有料記事より)。
ちょうど24日に3回目の連載記事がWEB上にアップされましたが、奥山さんらしいツッコミの鋭い記事であり、やはりいろいろと考えさせられます。
前回のエントリーでも書きましたが、企業の内部統制や有事対応に関心を持つ者として、やはり東日本大震災に至るまでの東電と原電(日本電子力発電)との津波対策の差(実行力の差)に注目してしまいます。
原電の2011年当時の社長さんは東電出身の方だそうですが、「できるところからやろう」ということで現実の津波対策に組織横断的に取り組んだ原電と、専門家チームが出した答えを経営判断で覆してしまった東電組織の差はどこにあるのでしょうか。
原電の組織は東電の数十分の一の規模なので、現場と経営陣との距離感が近く、現場の声が経営者に届きやすかった、ということが大きな理由かとは思いますが、9月24日のエントリーにコメントを寄せていただいたJFKさんが述べるように「想定しがたい高さの津波対策に数百億を投じるということについて、当時の国民から納得は得られなかったのではないか」ということも重要な指摘かと思います。
たとえ津波の専門家から危険性を指摘されていたとしても、「原発は安全であり、天下の東電が安全対策最優先で取り組んでいる以上は事故など起こらない」と認識していた国民の前で「想定外の事態への対処」に高額の資金を投じる合理的説明ができなかった(その結果として、裁判所は経営者に法的責任ありと評価することはできなかった)ということかと。
ただ、奥山記者の記事を読んでいると、原電は「できるところからやろう」「たとえ津波が防波堤を超えたとしても、事故の被害を最小限度に抑えよう」ということで「事故は発生する」ことを念頭に置いた総合的な安全対策をとっていることがわかります。決して「完璧な防波堤を作るためには多額の投資を惜しまない」という発想ではないのです。
一方の東電は「事故は発生しない」「絶対に発生させてはならない」ことを念頭に安全対策を考えているので、津波が防波堤を超えた場合の次善の安全対策ということは念頭になかったのではないでしょうか。つまり東電の場合、原電とは異なり「事故は起きる」ことを前提として安全対策を考えてはいけない、という思想が組織に思考停止を蔓延させたようにも思えます。
もちろん、こうやって重大な事故が発生し、「原発でも重大事故が起きる」という事実を目の当たりにして「社会の常識が変わった」からこそ指摘できる点もあるかもしれません(いわゆる「後だしジャンケン」の発想)。当時の国民世論からみて「東電が『事故は起きる』ことを前提として安全対策をとることなど決して許さない!」との声を無視できなかったこともあったと思います。
しかし、リーマンショックにせよ、原発事故にせよ、「起きないと思っていたことが起きる」のであれば(最近はVUCAの時代と言われます)、どんなに社会的に批判を受けるとしても「起きたときにどうするか」という思想で経営リスクに向き合うことも大切であり、また不可能ではないことを、今回の刑事無罪事件を通じて認識しなければならないように感じます。
また、企業のリスクマネジメントの在り方を変えるためには、企業自身だけでなくステイクホルダーの意識も変えていかねばならないのかもしれませんね。
山口 利昭 山口利昭法律事務所代表弁護士
大阪大学法学部卒業。大阪弁護士会所属(1990年登録 42期)。IPO支援、内部統制システム構築支援、企業会計関連、コンプライアンス体制整備、不正検査業務、独立第三者委員会委員、社外取締役、社外監査役、内部通報制度における外部窓口業務など数々の企業法務を手がける。ニッセンホールディングス、大東建託株式会社、大阪大学ベンチャーキャピタル株式会社の社外監査役を歴任。大阪メトロ(大阪市高速電気軌道株式会社)社外監査役(2018年4月~)。事務所HP
編集部より:この記事は、弁護士、山口利昭氏のブログ 2019年11月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、山口氏のブログ「ビジネス法務の部屋」をご覧ください。