勝谷誠彦さん一周忌:名言から考える森ゆうこ問題

新田 哲史

昨日(11月28日)はコラムニスト勝谷誠彦さんの一周忌だった。1年前のあの日未明、ふとした偶然で関係者から逝去された事実を聞きつけ、そのまま完徹。早朝の公式発表とほぼ同時にアゴラでどこよりも早い訃報と弔辞をアップすると、サーバーダウン寸前かと思えるほどの恐ろしい反響だった。

勝谷誠彦さん、享年57。我が心の師匠、永遠の旅立ち

ただ、それが昨日のことのようにも思えるし、何年も前のようにも感じてしまう複雑な心境だ。後者はここ最近あまりに濃密にいろいろな出来事があったためで、精神的に余裕が全くなくなっているからだろう。

勝谷さん最後の映像作品で対談した筆者(「血気酒会」より)

ご承知の通り、この秋の臨時国会に入ってから、アゴラは政局の当事者になってしまった。理由はもちろん森ゆうこ氏の質問騒動。原英史さんへの誹謗中傷と、官僚たちの働き方改革をないがしろにする森氏や野党の開き直りに義憤を感じ、戦線に突入。さらには珍しく論戦に飽き足らず、原さんが呼び掛けた森氏の懲罰を唱えるネット署名の賛同人にも名を連ね、とことんやり切っている。

怒りの余り、あえて品のない言葉遣いをツイッターでするのはもちろん記事ですら書いてしまった(例:ク○バ○ア)。禁じ手なのは重々承知だが、神聖な国会で明らかな間違い発言をし、あるいは争点をすり替える卑劣な相手になりふり構っていられなかった。ただ、そんなある日、宇佐美典也くんがツイートで、我が心の師匠の存在を思い出させてくれた。

うれしいような、気恥ずかしいような…勝谷さんが存命中、有料メールコラム「勝谷誠彦のXXな日々」(現在は「勝谷誠彦たちのXXな日々」に新装開店し、気鋭の執筆陣が活躍中)を13年購読して毎朝のように読み込み、自分の文章の中である種の影響は間違いなく受けていると思う。

しかし…しかし「型」だけ真似できても、とてもではないが、国内政治、事件、国際情勢の読み解きといった硬派モノから、若い頃の“専門”だった風俗、ももクロ等の軟派モノまで、まさに博覧強記ともいえる知識量と幅の広さはとてもではないが、私は足元にも及ばない。

森ゆうこ氏の問題、勝谷さんがご健在だったら、どんな風に論評されたのだろうか…。

勝谷さんは安倍首相とも親交はあったが、民主党政権誕生前から小沢一郎氏とも深いつながりがあったことで知られる。今回の騒動も、小沢氏が、森ゆうこ氏の裏で暗躍しているとみられ、国民民主党を実質のっとりつつあるのをみて、勝谷さんなら「老兵は死なず」と持ち上げるのか、「いい加減に潮時」とたしなめるのか…。少なくとも私には「闘うなら徹底的にやれ」と言われるのかなぁ。

どちらにせよ、野党があまりに弱くなって政権与党に緊張感が失われることには、勝谷さんなら毅然と物申したはずだ。民主党から政権を奪還した直後の2年間の安倍政権は、不祥事による閣僚交代はなかった。それは政権転落の記憶が生々しかったからだが、野党の不甲斐なさが長引く余り、安倍首相も油断した。内閣改造直後に2閣僚辞任など、かつてならあり得なかった。気の緩み、おごりが近年のスキャンダルの遠因になっていることは与党支持者とて完全には否定しまい。

生前の勝谷さんの造語に「利権談合共産主義」がある。利権を守るためにタブーや談合が跋扈し、国益が損なわれるという日本社会にありがちな事象を喝破した、勝谷ファンおなじみの名言だ。

きょう発売の『正論』で「森ゆうこ質問騒動に見る、日本政治の退廃」と題した記事を書いたが、この問題がグダグダな展開を辿るのは、野党のバカさ加減をどこかあえて放置している感もある与党の「確信犯」という側面もある。具体的に言えば、55年体制から続く国対政治そのもの。

森ゆうこ氏の質問騒動が問いかける本質は国会改革であり、霞が関の働き方改革であるが、結局は自民党の国対政治がそうした根源的な問題の是正を先送りにしている。与党も野党も共犯関係なのだ。

議員たちの交渉・取引の中身が議事録にも残らない密室談合ともいえる国対政治は、まさに「利権談合共産主義」の産物。平成の30年で退治できなかった55年体制の亡霊との戦いは、勝谷さんたちからバトンを継いで、我々の世代がいま身を投じている。この悪弊を令和の早いうちになんとしても断ち切りたい思いだ。

新田 哲史   アゴラ編集長/株式会社ソーシャルラボ代表取締役社長
読売新聞記者、PR会社を経て2013年独立。大手から中小企業、政党、政治家の広報PRプロジェクトに参画。2015年秋、アゴラ編集長に就任。著書に『蓮舫VS小池百合子、どうしてこんなに差がついた?』(ワニブックス)など。Twitter「@TetsuNitta」